「自分は悪くない」自分の非を認められない人の心理

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いつでも人のせい。

「自分は悪くない」「あいつのせいだ」

話はねじ曲がり、なぜかいつも責任はその人以外に…そんな困ったあの人についての解説です。

悪い自分は無かったことになる精神構造

先日の記事では「失礼な人」についてまとめました。

「失礼な人」の心理~自己愛性パーソナリティ障害にはリスペクトが無い

すると、「どうして他人を自分の延長線上のようにとらえているのに、相手を大切にすることができないのか?」という疑問をSNSに書いていらした方がいました。

「失礼な人」の記事では、自他境界の不全について触れましたが、この手の人達にはもう一つ大きな問題があります。

それは、分裂(スプリッティング)です。

心理学において分裂(ぶんれつ、英: Splitting)とは、人間の思考において、自己と他者の肯定的特質と否定的特質の両方をあわせ、現実的に、全体として捉えることの失敗である。スプリッティング、全か無か思考(all-or-nothing thinking)とも呼ばれる[1]。スプリッティングは発達段階の一つとして、精神分析理論においてはまた防衛機制の一つとして理解されている[2][3]。

スプリッティングの概念は、ロナルド・フェアバーンが対象関係論を定式化する中で発展してきた[4]。スプリッティングは、赤ん坊が満足させてくれる親の側面(良い対象)と、満足させてくれない親の側面(悪い対象)を、良い面と悪い面を分けたままに見なして、同じ個人に統合することができないことに由来する。

分裂 (心理学) – Wikipedia

失礼な人にも他人のせいにしかできない人も、心が健康ではありません。

健康な人、というのはいい自分も悪い自分も全部ひっくるめて「自分はこんなもん」&「でもいいよね!」という感覚を獲得しています。

そしてそれは自分以外の人間に対してもそうです。自分の配偶者や子どもが、「欠点が何一つない人」に変わることなど望みません。その人が自分ではない一人の人間であることも知っていますし、それを尊重し、その人らしさを愛しているからです。

ところが心が不健康な人はそうではありません。

ウィキペディアの分裂についての項目は、その下に自己愛性パーソナリティ障害についても記載されています。

この分裂(スプリッティング)は自己愛性パーソナリティ障害の言動によくみることができるからです。

自己愛性パーソナリティ障害
自己愛性パーソナリティ障害の診断基準を満たす人々もまた、中心的防衛機制としてスプリッティングを用いる。ナルシストは、自尊心を保護するために自己の正しさを安定させようと試みる時スプリッティングをよく用いる。それは自分の意思や地位に従わない人物を完全に卑劣で軽蔑されるべき人間だとみなし、自分自身は全く正直で賞賛に値すると考えることによって成される。スプリッティングという認知の形式はまた、他の関連する防衛機制である理想化と脱価値化の使用を意味しており、これは自己愛的怒りに対する予防的態度・行動である[10]。

「自分は悪くない」という結論しか受け入れられない人は、常に「自分は正しい」人です。

この思考パターンは自己愛者のそれと同じなのです。

自己愛者の認知では「悪い自分」は存在してはならないので、自分以外が悪かったことになります。

自己愛者は責任を持つ能力を獲得し損ねている

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自己愛性パーソナリティ障害は、愛着形成などの精神的な発達面において課題を抱えたまま成長していると言われています。

相手を選んでマウントをとったり嫌がらせをしたりしますが、「相手を選ぶことができる」という時点で致命的に知能に障害があるわけではありません。

ただ、そういったことをせずにはいられない、ということがそのまま健康的な精神状態にないことの証明にほかならないでしょう。

そしてなぜ相手を選んでいるのか?といえば、やったこと(加害)の責任をとらなくて済みそうな相手を選んでいるのです。

責任をとる、というのは、よかったことも悪かったことも全部、その責任を引き受けるということですが、「悪かったこと」を引き受けることのできる心の健康を持たない人は無責任にしかなれません。

自己愛者は能力を獲得し損ねたからこそ無責任なのです。

「どうしてお前はこうなんだ!」「あなたってこういう嫌なとこあるよね。」 「(え…?それ、あなたのことでは?)」という違和感のある会話に身に覚えはありませんか? 今回はそんな「何故か自己紹介とすら言える内容で他人のことを批判してくる人」についての記事になります。

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コメント

  1. りんご より:

    自己愛性パーソナリティ障害は愛着形成などの精神的な発達面において課題を抱えたまま成長している。
    私の近くにいる、その人は、親や、きょうだいもいる中で、おそらく虐待とかそういったこともなさそうなという環境で育ったのだろうと推測します。自己愛の特徴という中で、ここだけが、一致しません。

    その方の家庭環境については、ほとんど知らないので分かりませんが。
    おおよそ一般的な家庭であっても、成長段階で「健康的な感覚」を獲得しそこねたということもあるのでしょうか。

    • kinimini より:

      私はあくまで自分が読んできた本やネットで現在ではこういう理論が一般的であるということを書いているつもりではありますが、心理学は数式のように明確に必ずこの答えになるといった分野ではないので、あくまで傾向としてまとめてある段階なのかなと個人的には思っています。
      愛着形成ひとつとっても本人由来で形成しにくい資質を持っているケースもあるようですよ。

  2. さくらんぼ より:

    kinimini さんこんにちは。
    ブログをいくつか読みました。かなり読み応えがありまだ全ては読破できてませんが頷きしか出てきません。
    私は自営業者の所に嫁に来ました。自分の父親も自営業者だった為「くるべき所に嫁に来れた」と思い幸せと思っていました。
    義母も義父と仕事に行ってたので、私ももちろん旦那と仕事に行きました。義父と旦那と旦那が持っている国家資格があればもっと仕事出来ると思い、まずは初級の国家資格を取りました。会社の経費で本も買ってくれました。特にお祝いはありませんでした。
    仕事も勉強も嫌いでない私は上級試験に合格しました。義父と旦那は持ってますが、義理弟は持ってません。
    義母が「私はお父さん(義父)と仕事行ってたけど、資格なんて取ろうと思った事ないわ…なんで取ろうと思ったの?息子に取れって言われたの?!女が取ってどうするの?資格って、例えば会社辞めても一生物なのに会社がお金出すっておかしくない?上級の取ったって実際仕事で役に立つ訳じゃないでしょ…」延々と1時間近く言われ続けました。
    私の価値を無くそうとしたのでしょうね…
    他にも色々と書きたい事ありますが、初めてですのでこのくらいにしておきますね。

    kiniminiさんはカウンセリングなどはやってらっしゃらないのですか?

    • kinimini より:

      ご本名と思われるお名前でのご投稿でしたので念のためコメントをまだ承認しておりません。
      資格をとった後のくだり、まさに優位性が脅かされるからと脱価値化しようとしてる様子ですね。

      私は心理学の専門職ではないため、カウンセリングなどはおこなっておりません。また、書いている内容が内容ですので身バレする活動はしないと決めています。
      あくまで、自分が当時知りたかったことを「当時の私と同じような人のために情報を拡散する活動」と割り切って情報発信をしています。