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上記の記事で自己愛者(自己愛性パーソナリティ障害の行動パターンを持つ人)がなぜ”奇妙な”マネ・パクりをするのかについて書いてます。
自己愛性パーソナリティ障害はいわばカオナシです。中身はありません。
中身が無いから周囲から価値の高そうなものを盗みます。
カエルを飲み込み声や言葉を得るように、人から奪ったものを自分のものにします。人間が金に執着する様子を知れば、金を集め、それで人を動かそうとするんですね。
自己愛者が求めているのは「自分はすごい」「自分は正しい」…といった自己陶酔を得られる情報です。
旧ツイッターでのリアクションに、なぜターゲットのことを貶めながらターゲットのマネをするのか?という疑問がよく目に入ります。今回はこの点について、また立場の乗っ取りがなぜ起こるのか?について解説していきます。
自己愛者の目の前で評価される人がいる時
自己愛者はいつも比較で物事を判断し、「自分は〇〇よりも価値が高い」という状態でなければなりません。
マネされるターゲットというのは、殆どの場合他者から評価されている人物です。
それが自己愛者の中ではこうなります。
他者から評価をされている人物=自己愛者よりも優位である(?)→病的な防衛機制発動!「認められない」
同時に、自己愛者は人格が成熟していないため、他者の個性や人格もきちんと認識できません。自分と他者の境界線もぶっ壊れています。
よって、自己愛者の認識では評価されている人物と評価されているものはバラバラです。
人物とスキルが分離している感じですね。
そうしてそのバラバラのものが自己愛者の中では自己愛者自身とごちゃ混ぜになりながら都合よくトレードされます。
評価されているものは自分に帰属する認識になるわけです。
だから明らかにマネしている状態でありながらも「マネしてない」「マネされた」と言います。明らかにスキルに圧倒的な差があるような状態であっても、実力はそう変わらない、あるいは自分の方が勝っていると認識します。
ポジションの乗っ取りへ
前述のように、自己愛者の中では現実の情報が都合よくすり替えられているわけですから評価されているものを取り除いた人物が”不当に”評価されているという認識が残ります。そのポジションに相応しいのは自己愛者であるとなるわけですね。
そこで「あんたなんか大したことない。あんたは私のマネをしている。あんたはそのような評価を受けるに値しない人間である。」という自己愛者の認識を、印象操作やガスライティングなどによって相手や周囲の人間関係に流布していくのです。立場の乗っ取りです。
自己愛者の場合そのポジションを全うする責任があるからそのポジションにいる、ということは全くなく、やっていることは洗脳ゲームとでもいう状態です。しかし、誰かのいいところ(評価の高いところ)は自分のものとなり、自分の悪いところは相手のものになってしまう自己愛フィルターを通した本人の中ではこれらは当然の状況に戻しただけに過ぎません。
乗っ取られたコミュニティは本来の機能を失う
自己愛者が洗脳を完了したコミュニティでは、引きずりおろされたターゲットや洗脳されなかった人達にとっては非常に居心地の悪い空間になります。
しばらくターゲットは搾取だけされる立場として残ることもありますが、だいたいは精神を破壊されてしまうため、去ります。
利益を生み出せることのできる人間が居なくなった段階でそのコミュニティは解散になるか、あるいは洗脳された人たちだけが残る全く違う趣旨で活動するコミュニティへと変貌します。
名前だけが残っていて中身が全く違うものになってしまう、というのは自己愛者によって支配されたコミュニティあるあるです。
コミュニティを健全に維持するためには
フリーライドする人が多いコミュニティはテイカーが多いため、自己犠牲型ギバーを食い物にして成立します。
自己犠牲型ギバーは共依存傾向にあることが多いです。そのため、「人の役に立つことに依存」している場合、ある程度それで活動が維持できてしまいます。
しかし、ここに強烈な自己愛者がやってくると話は変わります。
共依存者は基本的に過労気味なので評価されやすいですが、この評価されているポジションに目をつけられてしまうともうこの先は前述の通りです。
自己愛者に乗っ取られないコミュニティ運営のためにはフリーライダーをいかに少なくするか。いかに自己犠牲型ギバーに自己犠牲させないかが要です。
自己犠牲をOKする人がいると、依存心が強い人がその人を利用しようとしてしまい、「この人便利~」「この人にやってもらえればいいや~」とフリーライドが許される雰囲気になります。健全な関係ではなく依存関係になっていきます。
フリーライダーは責任をとらないため、面倒くさいことはやりません。
自己愛者のコントロールに抵抗もしません。自分が巻き込まれないならホイホイと自己愛者にターゲット認定された人を生贄にします。
そうしたらもうこのコミュニティは終わります。
コミュニティ維持に対するコストを皆が払う、という意識があるコミュニティは、自己愛者の「責任をとらないまま利益だけ享受する」というスタイルと相容れないため、自己愛者の洗脳ゲームが上手くいきにくくなります。
良好な人間関係、コミュニティ環境のために「あなたのやってることおかしいよ」と言えないコミュニティは、次第に陰湿な嫌がらせや受動攻撃が許容されるようになっていきます。
自己愛者は自己利益のために行動します。デメリットがなければどんどんやります。その破壊力はもっと強くなるでしょう。
それぞれがそれぞれの能力に応じて役割を持ち、その責任を果たすコミュニティ運営が大切です。