大切にしていたものを勝手に捨てられる、売り飛ばされる…「なんでこんなことするのか理解できない」そんな人が身近にいると本当にストレスが溜まりますよね。
この記事では「なんでこんなことするのか」に焦点を当てて、その心理や背景を解説していきます。
※共有スペースを散らかしていて勝手にゴミだと思われて捨てられた、といった話ではない点はご了承ください。
モラハラの正体は殆ど自己愛性パーソナリティ障害
サジェストにこういったモラハラをアスペルガーと一緒に検索される方が多いですが、モラルハラスメントという「症状」は発達障害の特性というよりも、自己愛性パーソナリティ障害(= Narcissistic Personality Disorder)のものになります。
他人を自分の思い通りに支配したいといった欲求はナルシシズムの問題と強い関連性があります。
相手が嫌がるのに物を捨てたりする、といった相手を屈服させたいというような「加害・支配欲求」は自己愛性パーソナリティ障害の問題です。
発達障害の人も自己中ではないか!という声がありますが、こちらは理由や動機が異なります。発達障害の人は感覚が定型発達の人と異なるため、「興味・好奇心・衝動」のコントロールにおいて定型の人と同じ動きをすることが困難です。だから発達障害なのです。
授業中も自分が気になったことをしてしまったり、立ち歩いたり、身体の一部を動かすことをやめられなかったり…逆に過集中になると既に違う科目の授業をしているのにやめることができなかったりします。
それらは自己中心的に見える振る舞いではありますが、根本的な欲求として他者を支配したいといった欲求とは異なります。「授業を妨害したい」という欲求ではないわけです。もちろん対集団で授業を進めている環境では結果として妨害してしまうことが多くありますが。
ただ、発達障害の方が適切な支援を受けられずに生育環境が望ましくなかったりすることも珍しくなく、二次障害として自己愛性パーソナリティ障害になることはあります。その場合は両方の特徴が出てきますので周りにいる人はより大変になるかと思います。
アスペルガーなどの発達障害が自己愛性パーソナリティ障害を発症しやすい背景
モラルハラスメントの検索においてアスペルガーをはじめとした発達障害を原因だと思って検索する人が多いのは、発達障害の二次障害で自己愛性パーソナリティ障害になっていることが珍しくないからかと思います。
発達障害の子供は愛着形成が養育者との間にうまくなされないことが少なくありません。
本人の特性として定型発達の子供よりも愛着形成が難しいというのも言われていますし、衝動性の強い子供に振り回された養育者が高ストレスにより共感を示したりする余裕がなくなることも指摘されています。
「愛着形成において重要な情緒的触れ合い」において、情緒的触れ合いを求める力の個体差、情緒的触れ合いを通して愛着を形成する力の個体差、環境の差がある、ということです。
人は情緒的な触れ合いを通し、自分の存在をまずは無条件に肯定してもらうことによって健全な愛着を形成することができます。これは他者とも友好的に関わりあえる人格の基礎となります。
人格の基礎となる部分がうまく形成されないと、本来、乳幼児期→学童期→青年前期(中学生)→青年中期(高等学校)→…と段階を経ながら人格が成熟していくはずが、人格形成においては乳幼児期に多大な課題を残したまま成長していくことになります。
この「課題=自分はありのままで存在を許されていない」に対してどのように適応するのか?というところで、自己愛性パーソナリティ障害はその課題を表層意識から消して否認することである意味適応した存在です。
一方、モラハラに遭いやすいタイプの人(いわゆる被害者体質)も「自分はありのままでは存在を許されていない」という感覚を持っていることが少なくありません。
そしてこの感覚を自覚しながらも人の役に立つことで補おうとするなどの共依存的な姿勢で解決しようとする傾向があります。←これはモラハラの被害者が発達障害であるという意味ではありません。…が、機能不全傾向にあった家庭に育った人の多くが持つ自己肯定感の低さ故の課題なので、その課題を持った人間の対人傾向の話です。
※今回はモラハラと一緒に発達障害を検索される方が多いので二次障害について書いていますが、「発達障害があると愛着形成の難易度があがるため自己愛性パーソナリティ障害などの二次障害を発症する可能性が高まります」という話であって、自己愛性パーソナリティ障害自体は発達障害でも定型発達であってもどちらでもなります。
「おまえ=自分」〜自分のものは自分のもの&お前のものも自分のもの
前置きの説明が長くなってしまいましたね。
ではなぜ勝手に人の物を捨てるといったモラハラ行為を行うのか、という本題にいこうと思います。
「人の物を勝手に捨てる」という行為だけを切り取ると、その背景は必ずしも嫌がらせ目的はありませんが、自己愛性パーソナリティ障害(以下自己愛者)によるモラハラとして勝手に物を捨てるというケースであれば、それは明らかに嫌がらせが目的となっています。
ゴミと間違えて捨てた、などではないのです。
「相手が大切にしているものをわざとぞんざいに扱う」のです。
せっかく作った料理をわざと捨てる、などもそうですが、「あなたの思い入れがあるものをわざとぞんざいに扱う」からこそ意味があるのです。
自己愛者は人格形成で課題を抱えたまま体だけ大人になってしまったため、自分と他人の区別がちゃんとついていません。
それは「相手は自分の思い通りになって当然だ」という感覚を持ったままであるということです。
乳幼児は泣けば養育者がケアしてくれるのを当然だと(無意識に)思っていますが、あのままです。
ではなぜ、相手のもの、しかも相手が大切にしているものを勝手に捨てたりするのか?といえば、それは「相手の独立したアイデンティティの破壊」「支配関係の構築」を目的としているためです(無意識)。
自己愛者は健全な母子分離を完了していないので、依存先となるターゲットとある意味同化する必要があります。なので「相手が独立した人間である」ということを否定しなければならないと考えます(無意識)。
その人らしさを破壊し、支配し、「自分の養育者としての役割」を果たさせようとするわけです。
自分の養育者としての役割とはつまり、乳幼児のようにネガティブな感情が生じた時にそれを自分に変わって処理してくれるという役割であり、それとともに自分の欲を満たすためには※勝手に世話をやいてくれるような役割でもあります。
※勝手にというところが重要です。自己愛者は徹底的に無責任なためはっきりとお願いはしません。いつもにおわせてコントロールします。なので察しがよくて動いてしまう人は自己愛ホイホイになります。
(見た目だけは)大の大人でこれを求めるのですから、嫌な言い方をすれば奴隷を求めているということです。
「自分のものは自分のもの&お前のものも自分のもの」これは自己愛者にとってのスタンダードです。乳幼児にとって母親と自分は明確に区別されていません。それと同じです。
健全な発達を遂げることができた場合、この母子密着の段階から母子分離を少しずつ進めていくことができ、「自分と母親は違う人間である」という感覚を手に入れることができ、それを基礎として他者との関係も「自分とは違う一人の人間」を認識することができるようになります。
自己愛者はこれに失敗しているため、「相手が独立した一人の人間である」という現実に安全が脅かされる恐怖や憤りを感じます。特に自分が依存先として執着したターゲットがそれを見せた時は「飼い犬に手を噛まれた」ように感じるらしく、裏切られたような復讐心がわくようです。
自己愛者には、健全な人格の基礎を得られなかった背景があります。
本人の発達特性に沿った養育がなされなかったケース、本人は定型発達でも親が自己愛性パーソナリティ障害だったケース、親が発達障害だったケース…など、背景は様々です。
自己愛者達は「そういう人」です。
同居していると本当に大変ですが、彼・彼女らの異常さを勉強することで対処できることもあるかと思いますので、是非他にも情報を集めてみてください。
このブログにも自己愛性パーソナリティ障害に関する記事をたくさん書いていますので参考にしていただければ幸いです。