アダルトチルドレン・被虐待児と自己愛性人格障害のターゲット

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今まで主に自己愛性人格障害(自己愛性パーソナリティ障害)について書いてきましたが、今回はその単語を検索するであろうターゲットの皆さんについて詳しく書いていこうと思います。

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所謂「タゲ」になりやすい人達

嫌いな人や面倒な人ばかりに好かれる」でも自己愛のターゲットになりやすい人間について書きましたが、ここではもう一度軽く復習しておきます。
ターゲットになりやすい人達に多いのは、まずひとつ、自己愛を「この人なんか変だな」と周囲の人が気がついているのに気がつかないというパターン。そしてもうひとつ、不快だという感情を抑圧する癖がついているパターン、です。

自己愛に関わると、基本的に自己愛性パーソナリティ障害は人格形成の段階で障害を抱えているので、対等な人間と人間の関わり合いが不可能です。努力すればできるとかそういうことではなくて、「不可能」です。そういう障害ですので。すると自己愛はどういう関係を構築しようとするのか、それは相手を自分の所有物のようにモノ化するという関係性を構築するようになります。多くの人はそのような関係性を求められると不快に感じますので、当然それ以上関係を継続することも深めることもありません。ところがターゲットになる人はまるで戦う・逃げるという選択肢が無いかのようにそこに留まる傾向があります。

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虐待を虐待だと認識できない・受け入れられない

自己愛の思考パターンやコミュニケーションパターンは、金太郎飴のようにみな同じです。それが自己愛性人格障害(自己愛性パーソナリティ障害)だということですね。
自己愛はタゲにした人間をいわば自分の掃き溜めとして利用します。自己愛は常に「自分は正しい」「自分は他者よりも優れている」といった底なしの欲求を満たし続けることで自分自身を保っているので、精神的なバランスを維持するためには人をサンドバッグにし続ける必要があります。いじめ依存症です。なので言動は常に優越欲求を満たすための「自分上げ・タゲ下げ」、「タゲへのダメ出し」「自慢」「マウンティング」といったパターンに終始し、権威のあるものと自分との関係性の強調するなど、人のランク付けにとても強い関心を持ちます。

自己愛によって執拗に「お前は(私よりも)価値が低い」「私の言うことの方が正しい」という言動を繰り返されるので、タゲは自己愛によって脱価値化・支配・洗脳を受けている状態になります。精神的暴力・虐待行為です。

これはとても強い言葉に感じられるかもしれませんが、実際に自己愛がタゲに対してやっていることです。ところが、ターゲットになる人達はこのような精神的暴力を精神的暴力として認識することができなかったり、「自分に至らないところがあるのかも?」と考えてしまう傾向が強いです。また自己愛も「私を怒らせるお前が悪い」というコントロールをしてきます。ターゲットになりやすい人となりにくい人がいますが、自己愛にとって「支配しやすい」と認識されたのがターゲットなのです。

自己愛は加害欲求が強く、無責任で他人を利用します。対してターゲットになりやすい人達というのは自罰的思考が強く、必要以上に責任感が強く、人の役に立つことを望みます。ターゲットとして悩んでいる人にとっては不愉快でしょうが、凸面と凹面が見事に合致した相性となってしまっています。

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虐待サバイバーとしての「スキル」を見つめ直す

見出しが過激ですが、ではどうしてターゲットになる人はいつもターゲットになるのでしょうか?それはその人の育ちの中で身につけたサバイバルスキルと自己愛との相性がある意味で良すぎるためです。
嫌いな人や面倒な人ばかりに好かれる」でも触れましたが、多くの人は精神的暴力を精神的暴力だと認識できますし、「お前のせいだ」ばかり言ってくる自己愛に「はぁ?何言ってんだこいつ。マジクソだな。頭おかしーんじゃねぇの?」くらい思います。思うことができます。しかし、よくターゲットになるような人は目の前にいる自己愛に出会う以前から、理不尽に過剰な責任を追求され、お前が悪いと言われてきました。そして、自尊感情が低くなったターゲットは「そんな自分は人様の役に立たなければ」と自分を向上させようと努力してきました。それがもう自己愛にとってはカモにしか見えない態度なのです。

ターゲットは普通の人が抱えていない過剰な荷物を持つことを当たり前だと思っています。感情を抑圧し、他人の分の荷物まで背負い、それでももっと「~しなければ」と思っています。そうしないと生きることを許されない環境だったから、自ら望んだわけではなくても身につけてしまった癖です。「嫌いな人や面倒な人ばかりに好かれる」では我慢癖と書きましたが、いわばサバイバルスキルですね。

あえて癖をスキルと言い換えましょう。無自覚である癖は直すことができません。ですが、「これを直そう」と思えば少しずつ直すことは可能です。そして「自分のスキルである」と思えば、場合によって使い分けることも可能ですから。

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スキルを発揮する場面・相手を選ぶ

「成功者はギバーである。」と言います。そして同時に、「一番成功していないのもまたギバーである。」という現実があります。どういうことでしょうか?

人には好意の返報性があります。良くしてもらったらお返しします。そしてバランスをとろうとします。貰いすぎれば「貰ってばかりで悪い」と普通の人は感じます。ところが、本来自己愛が持つべき責任まで擦り付けられてしまうような責任感が過剰なターゲットは人のためにやり過ぎてしまうところがあります。バランスがとれない関係を普通の人は心地悪く感じますので関係がうまくいかないという現象も起こります。

一方、自己愛は違います。自己愛にとって他の人間は人間ではなくモノとして認識していますので、この返報性は存在しません。自己愛は獲物を狩るために「餌」となるようなプレゼントを送ったりすることはありますが、基本的に自己愛には良心が無いので人を思い通りにするという目的で行動しているだけです。貰えるだけ貰います。利用できるだけ利用します。自己愛は典型的なテイカーです。

自尊感情が低い・責任感が過剰な「人の役に立ちたい」と思いがちな人間の前には必ずテイカーが現れます。自己愛性人格障害が現れます。アダルトチルドレン・被虐待児の前には必ず自己愛性人格障害が現れます。圧倒的なカモ臭ですから。

自己愛は人をサンドバックとして利用したり、労働力や時間を搾取することもなんとも思いません。むしろ当然とすら思っています。そもそも自他の境界が曖昧なので「他者」を一人の人間として認識することができません。一方、ターゲットは利用されていても、過剰な義務感や責任感などから「役に立っている自分でなければ」などと感じていたりするのでNOを言えません。ターゲットもいわば自他の境界が曖昧な状態と言えます。境界を侵害されるのを当たり前のように誤解したまま生きてきていますので。そしてターゲットのギブは自己愛にテイクされるだけになります。要求はどんどん大きくなり「もっともっと」と次第にそれは搾取・奪取になるでしょう。

ターゲットの「スキル」は、相手や程度を間違えなければ大きな成果となって返ってきます。責任感を持って仕事をすることはとても大事なことですし、人からの信頼を得ることができます。

ターゲットにばかりされてしまう人の普通は大抵普通ではありません。DV・モラ被害を受ける人間が尽くしすぎるのはテンプレですし、「私にも悪いところあったし」「たまに暴力を振るうけれどやさしい部分もある」なんて言うのもテンプレですが、これと同じです。一般的にたまに暴力を振るう時点でナシです。
マウンティグやディスりを執拗に繰り返し精神的暴力を振るう人間はオカシイですし、自分の利益ばかり追求して人を利用することをなんとも思っていないような人間もオカシイです。そんな人間と普通の関係を構築できるはずなんてそもそもありません。

相手を選んでください。

尽くしすぎず、好意の返報性という心を持っている人間にだけその態度で接するようにしてください。自己愛にどんなに尽くしても信頼されることなどありませんが(自己愛にはそのような心の機能が存在しないので)、普通の人であれば関係性をきちんと発展させることができますよ。

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