「自分はありのままでいい」
この感覚を持てている人は、自分の長所も短所も受け入れて人生を生きられる人です。
しかしこの感覚を持たない人は、「存在していい自分」でいるために不自然な生き方をしてしまいます。
この人たちがついやってしまうのは他者と比較して存在していい理由を探し、感じようとするということ。あるいは、「今」を生きずに延々と未来に向かって自分を犠牲にするということ。
「お前はダメ。自分はいい。」
このスタイルを持つ人は他罰的です。そしてそうすることで自分の存在を肯定しようとします。
他罰的な人は人の短所や欠点ばかりを見つけてそれを殊更に劣った点だとして責めます。
人間なんてみんな完ぺきではありません。短所や欠点などいくらでもありますからそれを殊更に責め立てることそれ自体がおかしなことですが、この人たちは責め立てずにはいられません。
なぜならそうすると「自分はコイツとは違う」と思うことができるからです。
人を否定している時は自分の問題から目を背けることができるため、他者にダメ出しすることで自分を一時的にでも肯定できるのです(本人の中では)。
自己否定から逃れるため、ダメ出しや説教をして自分をごまかしているのですから、例えるならばつらい現実から逃れるために多幸感を感じられる麻薬にハマってしまったようなものです。
「今の自分のままではダメだ。」
このスタイルを持つ人は、自罰的です。「今はだめだけど」と努力し変化することによって肯定される自分を手に入れようとします。
自罰的でありながらもまだ自分が変われる…いや、変わらなければならないと思い、自分の良くない部分にばかり目を向け、いつも自分に欠陥があるという感覚を持っています。
人は完璧ではない…と頭ではわかっていても「現在のありのままの自分」を肯定することができません。ありのままの自分はダメだと信じるような過去があったことが殆どです。
無価値感・罪悪感・自己否定感…こういったものから逃避するためにがむしゃらに努力し、「より良い自分」になろうとします。
モラルハラスメントあるあるな最悪のカップリング
他罰的な人と自罰的な人が出会った時、そこではモラルハラスメントが起こる危険性が非常に高くなります。
他罰的な人は自罰的な人に対して「お前はダメだ」と言って、現在、ラクになろうとします。
自罰的な人は自分に対して「もっと改善しなければ」と、未来、ラクになろうとします。
この関係性は不健康でありながらも凹凸がハマってしまいます。
他罰的な人は依存症患者と同様の状態にありますから、よりひどくなることはあっても行動が改善することはありません。
一方、自罰的な人にはいつか限界がきます。心や身体の健康を害し、それ以上頑張ることができなくなります。
奪えるエネルギーを吸いつくしながらもまだ飢えている者と、エネルギーが吸い尽くされた者。
自罰的な人間が「もう無理」―こうなった時にこの関係は終わりを迎えます。
モラルハラスメント被害者に足りないのは「今」
「いつかわかってくれる」
「あの人にも事情があったはず(だからいずれは解決できるはず)」
「最初はやさしかったし…」
自罰的な人はモラハラ被害者になることが多いです。
この人たちは自分を犠牲することをナチュラルにやりすぎるため、我慢している自覚を持てていないことが少なくありません。
あの頃は、いずれは…こう思いながら「今、自分が何を感じているのか?」から目をそらしている時、既に変化を感じ違和感を抱いているはずです。
人の関係も、近くなったり遠くなったりしていいのです。
今現在自分が感じることに従って、付き合い方を変えてもいいのです。
「ありのままの自分を肯定してもらったことが無い」
「ありのままの自分は否定された」
…このような過去から、あなたは自分が感じることを大切にすること自体ができていないかもしれません。
しかし、自分自身の声に耳を傾けない限り、自分自身を肯定することもできません。
感じることそのものに、いいも悪いもありません。
ただ、「自分はこう感じた」。その事実を事実のまま受け入れてあげてください。
それをしてもらってこなかった過去から、ついジャッジしてしまうこともあるかもしれませんが、未来は今の延長にあります。
あなたが「~すべき」で語れば、その先にも「~すべき」が続きます。
モラハラ加害者がそうであるように、ダメ出しなどいくらでもできるのですから。
あなたが感じたことは、ただそこにあなたの心がちゃんと存在したということです。
まずはそれをそのまま大切にしてあげてくださいね。