自己愛性パーソナリティ障害の取り巻きについて/傍観者との違い

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いじめっ子は大抵一人ではいじめをしません。
いじめっ子の周りに「取り巻き」となる人間がいるのは、子供時代から共通することでしょう。

学級などのコミュニティ内で起こるいじめ問題では、だいたい主犯格となるいじめっ子がいて、「いじめっ子グループ」が形成されています。

そして、コミュニティの他の構成員はいじめられっ子と、そういった人権侵害行為を傍観している傍観者、という構図ですね。

いじめっ子は、いじめ依存の状態にある自己愛性パーソナリティ障害の人間であることが多い、ということをこのブログでは書いています。(以下「自己愛者」とする)

もちろん、人格形成の途中にある学童期にこの診断がされることはありませんが、少なくともそういった傾向を持ちながら人格が形成されている最中にいる、という点では子供時代の自己愛者とも言えるのではないかと思います。

昔のクラスを思い浮かべていただければわかるかと思いますが、自己愛者の周りにいるからといって、みんながみんな自己愛者の手先のような生粋のフライングモンキー(取り巻き)になるわけではありません。

自己演出の得意な自己愛者は「場の空気」を操作するのがうまいので「いじめられっ子」をいじめられて然るべき存在であるかのように思いこませて場を操作していきます。しかし、そういった場の空気の中で、積極的に加害行為に加わる人間と、気持ち悪さを感じなるべく離れようという反応をする人間がいます。

この違いは一体何なのでしょうか。

自己愛性パーソナリティ障害の取り巻き(フライングモンキー)になる人間

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フライングモンキーとは、自己愛者の手先のような行動をとる人間のことです。加害行為の手助けですね。(オズの魔法使いに出てくる羽の生えた猿に由来)

「類は友を呼ぶ」と言いますが、自己愛者は他者のマインドコントロール(洗脳)を得意としており、「洗脳のしやすさ」といったところで関係性を構築していきます。

加害行為に加担するのは自己愛者のマインドコントロールを受けやすい、つまり「自分自身の価値が他者の評価によって変化する」という感覚が強いということです。これが自尊心の脆弱さ・自他境界の曖昧さでもあり、自己愛者とフライングモンキーの類似性です。

自己愛者のマインドコントロールは、相手を不安にさせたり、相手の同情心を誘ったりといった、相手の心を不安定にさせることによって成立します。そのため、不安定になりやすい心の状態を持っている人は自己愛者にコントロールされやすくなります。

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同情心、ということで善意の人も取り巻きになるではないかと思う方もいらっしゃるかと思いますが、言葉を選ばずに言えば「(子供の頃も含め)まだ視野が狭く愚かで人格形成が未成熟な場合」は嘘を信じ込んでしまうためそういうこともあります。

ただ、善意の人が本当に善意の人であった場合、いじめられっこ(ターゲット)自身も一人の人間であるという感覚を持っているので、他者尊重の姿勢が入ります。(特に人格が健全に形成された大人の場合は)

自己愛者がターゲットにする加害行為への一方的なほう助をする前に、「なぜ?」が入るんですね。

そのため、ターゲットに対しても「自己愛がこういうこと言ってたけど本当?」などとコミュニケーションをはかろうとしたりします。もちろんこういう関わり方ができるのはとても勇気のある行動です。洗脳されない多くの人も「極力関わりたくない」という姿勢で傍観することが多い中で、いじめられっこ(ターゲット)に接触しようとするのは本当の意味での自尊心と他尊心がなければできない行為ですから。

そのため、「取り巻き(フライングモンキー)」になる人間と傍観者となる人間は違うんですね。ちなみに、知恵がついてくるとより自己愛者のおかしさにも気がつくようになるので、大人になれば大人になるほどフライングモンキーになる人物像の傾向は顕著になっていきます。

日本では人を支配するような自己愛的な言動を黙認する空気があるため、いじめられっ子の方が転校するなど「コミュニティから去る」ことを求められます。会社でもパワハラする人間が残り、新人がすぐにやめます。

この空気を変えて、いじめをする子の心理の方に解決すべき課題があるという視点が一般化することを心から祈っています。

次に私の体験を交えながら説明していきます。

フライングモンキーの正体

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ここからは私の体験です。

私がまさに自己愛者のターゲットだった頃、一見すると善意の人として接触してくるフライングモンキーがいました。不快なのにフライングモンキーだと気がつけなかったのは紛れもなく、「思いやり」「よかれと思って」を全面に出して私に接触してきていたからです。

ではなぜフライングモンキーだと今は断言できるのかと言うと、数年立ってから決定的なことが起こったことと、今当時を思い返せば「私が何を感じているのかは尊重しない」「私の言葉は信じない」「肝心な時は言い逃げする」「罪悪感などを煽って察しろとでもいうような言動をする」というコミュニケーションの仕方だったからです。

自己愛者Aの嘘を信じ込んで私に無実の罪で批判してきたのですが、私がそれは違うと言っても「でも自己愛者Aはそう言ってたから!」と聞く耳を持ちませんでした(言い逃げ)。なのに一方で、やたらと自己愛者Aと私を近づけようとし(「自己愛者Aが一緒にやりたがっていたよ」など)、自己愛者Aは優秀でいい人だという話を私にしてきました。

文脈としては「自己愛者Aはいい人なのだから、自己愛者Aに嫉妬して嫌がらせするなんて下劣な行為はやめて、改心して自己愛者Aと仲良くしたらいい」ということですね。また、「自己愛者Aはあなたに嫌がらせされてるのにそれを許しているし、仲良くできたらと思っているよ」です。

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執拗な嫌がらせにもはや心身症になっていた私は「私が悪いのか?」「なぜ?」と混乱し、加害者である自己愛者Aの名前を聞くだけで動悸がするようになってました。

しかしフライングモンキーな彼女については、「彼女が自己愛者Aの言うことを信じ込んでしまっているからああ言っているだけで、真実がわかれば謝罪してくれるだろう。きっとわかりあえるだろう。」と、彼女が気がつくまで待つという選択を私は取りました。いつも彼女は善意を全面に出して私に接してきていたため、本当は誠実な人だとこの時は思っていたのです。

そして数年後、決定的なことが起こります。

卒業してからも続く自己愛者Aの執拗な嫌がらせ行為でしたが、それが明るみになりコミュニティ内に知れ渡ることになりました。

実は当時から取り巻きを中心とした人達以外の殆どの人は、その嫌がらせのえげつなさまではわからなくとも自己愛者Aが私に何かをしているとは気がついており、気がつきつつも言及せずに傍観していただけではあったようなのですが、やっと明るみになったことで、その事実はもちろんフライングモンキーの耳にも入ります。

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私は、これで彼女も目が覚めるだろうと思いました。

ところが目が曇っていたのは私の方だったんですね。

彼女は信じて待つには値しない人であるという現実をまざまざと見せつけられます。

彼女は私に近づき、「昔からナルはこうだったよね〜」とやたらと持ち上げる発言をはじめました。…昔…とは??昔のフライングモンキーな彼女は無実の罪で私を糾弾して「人としてどうかと思う」とまで言ったのに、今更何を言っているのでしょうか。昔とは何時代の話をしているのでしょうか?前世の記憶と混乱しているのではないでしょうか。

そして続きます、彼女は「自己愛者Aちゃんはちょっと私も付き合いづらいと思っていて」「当時は色々とトラブルもあったけど、私はずっと中立の立場で二人を見ていたし、〜」……。

この人は何を言っているんだろう?と唖然としました。

都合の悪い記憶は消去され、何か違うストーリーがフライングモンキーな彼女の中に出来上がっていました。第三者に指摘される程度には彼女は私に対して当たりがキツく、そこまで親しいつもりも私はありませんでしたが、なんだか距離感も妙に近くなっており薄気味悪かったです。

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「「中立?」全然中立ではなかったよね。やってないことをやったと非難してきたのを覚えていないの?「人としてどうかと思う」とまで発言したことを覚えていないの?」と、当時について追求しました。「謝りもしないで無かったことにするかのようなその姿勢こそ人としてどうなのか」と。

彼女は「壊れ」ました。支離滅裂です。
文章がおかしくて、どうしちゃったの?といった感じでした。メールでのやりとりでしたが、まともに文章を作れなくなってました。

私はこの時、彼女がまともではないことを悟りました。「受け入れられない記憶は消えちゃう病気なんだと思う。もう関わりたくないから連絡先も消してください。」これでカットアウトしました。

それ以来、全てブロックしたため一切連絡はとってません。

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生粋のフライングモンキーは、少なくとも成人している場合、やはりどこかおかしいのではないかと個人的には思います。

いじめっ子自己愛の取り巻き(フライングモンキー)は、小学生・中学生・高校生・専門/大学生/社会人…と年齢を重ねるごとに減っていきます。自他の境界も健全に引かれるようになり、人格が完成されていくからでしょう。自己愛者がターゲットの情報を吹き込んでも、鵜呑みにするのではなく、次第に「あの人がそんなことするかな?」と自分で判断するようになっていきます。

私が被害に遭っていた時に傍観者だった人も、「ナルがそういうことする人じゃないのはみんなわかってる」と言っていました。私を自己愛者が言うような人間だと思っていたのはパーセントに直すとだいたい16%程度でした。

「2割の人はどうしたって自分を嫌う」と言われますが、自己愛者本人も合わせるとちょうどそのくらいでしょうか。

自分を自己愛が吹き込むような「そんなことするやつだと思って」接してくる人というのは、付き合ってはいけない人です。勝手に相手の中で出来上がったサンドバックのような偶像を当てはめられてしまいます。そこには相互理解もリスペクトもありません。そもそも私のことなど見ていないのですから。

他にも自己愛性パーソナリティ障害(自己愛性人格障害)についての記事をたくさん書いてますので、是非参考になさってください。

自己愛性人格障害の人間は支配しやすい人間に自分の手足となって望みを叶える手助けをさせていきます。取り巻き自身も自己愛性人格障害か、その傾向を持った人間であることや、あるいは自我を失うまではいっていないものの人格形成に偏りを持ったアダルトチルドレンであったりする場合が多いです。
いじめっ子の心理状態が育まれるまで いじめっ子にもタイプがあります。大きく分けて、反社会的パーソナリティ障害のようにいじめ行為を娯楽として行っている場合と、自己愛の問題により優越感・自己陶酔を得るために他人を利用しているケースがあります。今回は依存的に繰り返してしまう後者の自己愛の
モラハラ加害者の代表格である自己愛性パーソナリティ障害は、「理想の自分」を自らに信じ込ませることによって自分を保って生きています。そのために現実の方を歪めて解釈し、現実の人間を洗脳します。理想の自分から外れたことが起こると許容できないストレスを感じ、そのストレスを自分の外に吐き出

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コメント

  1. りんご より:

    いつも記事やツイッターの投稿により助けられています。落ち込んでは、ブログを読んで何とか立ち上がるという日々です。
    1人が自己愛かな、もう1人が取り巻きかな?と思い、無視などの嫌がらせを受けながら観察もしています。
    どちらが自己愛で取り巻きなのか、どっちもそうである気がしたりもします。
    その2人の関係性を整理するためにも、見分けるポイントなどあれば教えていただけないでしょうか。

    • kinimini より:

      こんにちは。
      自己愛人間は仲間を増やしますが、仲間になるのは類友なのでどっちも自己愛の傾向は持っていたりすることが多いです。
      どっちが主導か?というのはあるでしょうが、加害という点でやってることは同じなはずです。利害関係があっているから一緒にいるのでしょう。
      取り巻きとならうまくやれるとかはあまり考えない方がいいです。やはり自己愛の手駒になる人もどこかおかしいか、よっっっっっぽど世間知らずです。