自己愛者は「〇〇が好き」なのではなく「〇〇な私が好き」

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自己愛者には自分がない、ということは以前記事でも取り扱いました。

こちらの記事ですね。↓

自己愛性人格障害(自己愛性パーソナリティ障害)には自分がない

自己愛者は自己愛が健康ではないので、一見すると自分大好きのような言動をとりながらも自分が好きではありません。ところがそのことをちゃんと自覚して見つめなおすこともできません。

そして「好きな自分」でいるために自己陶酔的なエネルギーを得ることに人生を費やします。

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「自分は価値がある」と思えそうなことをやろうとする

自己愛者の行動の理由は健康な人のそれとは根本的に違います。

自己愛者が求めている自己陶酔エネルギーは飢餓感を伴って欲するものです。したがって、健康な人の「好きなことやって、それで結果でたらもっと嬉しい」というスタンスで行動できる程余裕がありません。

自己陶酔エネルギーが欲しいのであって、何かをやりたいという内発的な動機付けがあるわけではないのです。

自己愛者が自己陶酔エネルギーを得るためにコミュニティに入ると

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よくあるパターンですが、何か楽しそうなこと・価値の高そうなことをやっているコミュニティが目に入ると、自己愛者はそこにあとから入り込んできます。

売れるということは馬鹿に見つかるということだ、という芸人さんの言葉があるそうですが、それと似てるかもしれません。

そこで自己愛者がやることといえば自己陶酔エネルギーの補給ですから、自己愛者はそのコミュニティの中での「立場」を得ようとします。そしてコミュニティの中ではマウンティングやディスり、印象操作などを用いた派閥の形成がなされるようになります。また、ターゲットを定めていじめ(エネルギーの搾取)が起こったりすることもあるあるです。

これらのことによって雰囲気は悪くなりますので、自浄作用がなければそのコミュニティ自体がボロボロになって解散するか、あるいは力のある自己愛者によって乗っ取られた宗教のようになっていきます。

「自己愛教」のように自己愛者のカリスマ性によってコミュニティが維持される場合、「自分は素晴らしい」というタイプの自己愛者と、「あなたは素晴らしい・この集団は特別で素晴らしい」というタイプの自己愛者集団が形成されます。集団ナルシシズムの完成です。

オタサーの姫、などはわかりやすい例ですが、これはもっと規模が大きいところでもよく見られる現象です。

自己愛者の目的

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自己愛者は自惚れ依存症の中毒患者です。

「私は特別」

それを感じ続けるために行動します。

スポットライトがあたるところに自己愛者ありです。

ダンスが好きだからダンスをはじめるのではありません。
ダンスをしたいのではなく、スポットライトを浴びて拍手されたいからやるのです。

そして自己愛者は相対的に優位でないと自分の価値が損なわれるような感覚になってしまうので、「なんであの人は拍手されてるの!贔屓されてる!ずるい!!私こそがあの位置に相応しいはずなのに!!」と嫌がらせをします。

ダンスが好きな人は自分の満足のために表現力をあげたいと思いますが、自己愛者は違います。
ダンスが好きなわけではないので、「この技をできるようになりたい」とは考えません。
「この技をできるようになれば認められる」と考えます。

全ては自惚れることのできる材料を求めて、の行動です。

そうして今日も、自己愛者は「私は特別でしょ?」とアピールし続けます。

空っぽで底に穴の空いた自分を「とくべつ」で埋めて気を紛らせるために。

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