「自分が無い」という病理
自己愛性パーソナリティ障害(自己愛性人格障害)の病理というのは、つまるところ人格形成の失敗です。
なので自己愛性パーソナリティ障害の人は「自分」がちゃんとありません。
健康な人の中にある、
・自分というものの認識
・自分と他者の区別
も存在しません。
自己愛性パーソナリティ障害には自分が無いので、自分が無いからこそ他者や権威などによって「自分に価値がある」という、いわば自惚れを手に入れることに執着します。底なしのブラックホールのような存在です。
自分がなければそれは「無」です。自分は価値があるのだという証拠がなければ自分は価値がないわけですから、必死にそれらしいものを身につけることで「自分は価値がない」という無意識から刹那的に逃れようとするのですね。
真似やパクリ、誰かをコピーすることは、「無」である彼らがその穴を埋めるために無意識で、依存的・衝動的に行う行為のひとつです。
真似を認めず真似されたと騒ぐ理由
彼らは人の真似をします。
特に、周囲からの評価が高いものを自分の中に取り入れます。
憧れの人の真似をする行為自体は病的な人でなくてもよくやる行為ですが、自己愛性パーソナリティ障害のそれは自分と他人の境目がない状態で行われるので、憧れの対象と自分の区別は存在していません。というか対象に「憧れている」という認識すら存在しません。
そもそも養育者との関係において健全な関係を育むことに失敗しているため、その次の段階にある「健全に離れる」ということもできていません。自分というひとつの存在が独立していない、という表現だとわかりやすいでしょうか?自分は世界、世界は自分、自分の思い込みはそのまま現実…全ては自分の延長線にあるという感覚です。
よって、健康的な人にとって真似する対象は「憧れの存在」といった表現になりますが、自己愛性パーソナリティ障害にとってのそれは「評価をされている自分」とイコールになり、コピー元は「存在しない」という認識となります。
だから自分が真似しているのにも関わらず真似されたと騒いだり「自分こそが他者に影響を与えている特別な存在」であると脳内変換されてしまうのですね。
また、相対的な優位性に執着するのでコピー元をコミュニティから消そうとさえします。ですがそれらの問題視されるような言動、つまり自己愛性パーソナリティ障害にとって都合の悪い記憶は防衛機制によって表層意識からは消されてしまいます(自覚を持ちながらもしらばっくれているだけという説もあります。無意識から自在に都合のいいところから出し入れする感じですね)。
人間のそれらしいものをくっつけた「なにか」
自己愛性パーソナリティ障害はいわばカオナシです。中身はありません。
中身が無いから周囲から価値の高そうなものを盗みます。
カエルを飲み込み声や言葉を得るように、人から奪ったものを自分のものにします。人間が金に執着する様子を知れば、金を集め、それで人を動かそうとするんですね。
健康的な人格を持った人間には、自分が感じたものや好みなどの延長線上として服のセンスなどがあります。それが個性となります。自己愛性パーソナリティ障害にはその根っこの部分が存在しないため、言動も一貫性が無く、上辺だけパクって「(価値があるかのごとく)それらしく振る舞っている」だけなんですね。
自己愛性パーソナリティ障害の人間と会話をしていると、健康な人は違和感をおぼえます。
話に一貫性が無く、過度な一般化や「普通」や「常識」という言葉、「それらしい言葉」は繰り返すのに、価値観などが垣間見える突っ込んだ話になると全く辻褄が合いません。また、時折人を人と認識しているとは思えないような発言が混ざることもあります。
いくら会話をしていても「彼らが本当はどんな人間で何を感じているのか」というのが見えず、不気味に感じられるのですね。
自己愛性パーソナリティ障害の人の言動は「周囲の評価が高いと感じた人の真似」で形成されているので、会話のリアクションも「こういうときはこういう風にリアクションすると得をする」というリアクションを選択して演技しているに過ぎません。その中に健康的な感情は存在しないんですね。
彼らの中に存在する感情はより原始的な本能に近い「生存か死か」「戦うか逃げるか」、また「損得勘定」などのより動物の欲望に忠実な感情のみです。そこに共感などのより高次元な感情は存在しません。
自己愛性パーソナリティ障害は脳の機能障害だという説もあります。
現時点でわかっているのはマルトリートメント(不適切な養育)によって脳が変形する、ということです。ただ、発達障害の二次障害として自己愛性パーソナリティ障害になることもよくあり、発達障害は代謝異常などによる脳の機能障害があることも珍しくありません(治療方法などの情報をお求めの方は栄養療法などをお調べください)。問題が複合的であるため、自己愛性パーソナリティ障害=脳の機能障害か?となると現段階ではまだわかりません。
自己愛性パーソナリティ障害は抑うつ状態を回避するために自己陶酔的な供給を際限なく欲し、自力で処理できない負の感情のゴミ箱となる生贄(ターゲット)を必要とします。
彼らの中に存在する欲求は、
・自分が人よりも優位にあり「価値がある」と周囲に崇められたいという欲求
・安全欲求
・自分のネガティブな感情を押し付けることのできる(投影するこのとのできる)他者の存在=ターゲットを手に入れたいという欲求←自己愛性パーソナリティ障害にとっては依存相手でもある。母親のようにオムツを変えて汚物を処理してくれるイメージ
です。
こういった自分と他者がまだ分離していない乳幼児的な段階で発達が止まっているので、人の幸せのために何かしたいなどという欲求や、人に感謝された喜びなどの共感ありきの感情は持ち合わせていません。(感謝された喜びではなく、自分の価値が上がった喜びはある。)
自分の欲が満たされることを脅かされる状況になると、良心の呵責無く汚い手を使ってでも邪魔者を排除しようとしますし、自分が劣位に置かれた場合は嘘や泣き落としで自分がより得をする結果を得ようとします。ですが負けそうな試合はしません。基本的にとても動物的です。
また、権力者には媚びへつらい「良き右腕」を演じながら、他の人間が権力者と近づかないように嫌がらせしたりもします。
それらの自己愛性パーソナリティ障害の問題行動とされる行動の全ては、上記のような非常に原始的な欲求で成長が止まっていることに起因します。だから人格障害なのです。
彼らの中には他者と喜びを分かち合うという精神機能は存在しません。わざとそうしている、ということではなく、能力の問題として、自分が(目先の利益で)得をすることしか考えられないのです。
自己愛性パーソナリティ障害は自分が無く、底には穴が空いています。穴が空いているので満たされることはなく、刹那の自惚れを求めてただひたすら「自己存在を肯定するための材料」を自分以外から摂取し続けます。そうせずにはいられない障害なんですね。
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コメント
自分も被害にあいました。
ほんとに同感な部分ばかりです。
苦労なされましたね。
私は男で、自己愛性障害の人も男でした。
とにかく周りの女は自分のものにするという執念がすごく、
私が彼に嫉妬しているという形に持ち込むようにしてました。
顔が整っている方で(私はそんなこと思ったことないのですが)、
頭が良い方(取り繕う、損得勘定という意味で、ほんとはバカだと思ってます)
だったので、非常に苦労しました。
一度やりやって、相手がうつ(パニック障害)で求職したのですが、
本性を知らない新人の女の子がその男の彼女みたいな感じになってしまい
(自己愛男は既婚)、元気になって復職してきてしましました。
最終的には、私が転職することになりました。
あの、ゾッとする感じ。
死なないゾンビと戦っているような感じ。
離れる以外に解決策はないのかとも思っています。
あなたの記事に救われました。
義務教育で人格障害について教えた方がいいですよね!(笑)
大変な思いをされましたね。
ターゲットになってしまうと本当に自分が削られていくような感じですよね。
ありもしないものが次々と捏造されては自分にべったりとネガティブなものを擦り付けられて…。
転職先での人間関係に恵まれることをお祈りしております。
自己愛は人を愛することができないので、その女性も彼女自身に人格障害の傾向がなければだんだんと気がついていくのではないかと思います。
(厄介なもので、自己愛と自己愛は利用しあえる相手としてWinWinでつながってしまうとそれはそれでうまくいってしまったりもしますが)
本当に!!義務教育で教えた方が人間関係のトラブル予防のためにもいいのではないかと私も思います。
…が、いじめっ子はほとんど自己愛ですから、差別に繋がる可能性も考慮するとなかなか障害ズバリを公に言うことも難しいのでしょうね。
「いじめられる方にも~」みたいな意見を持つ無知な教員がいなくなって、自己愛に障害を抱えてしまった加害者がカウンセリングを受けて自分自身の問題と向き合えるようになっていく未来を希望します。