自己愛者の被害によく遭ってしまう被害者体質の方は、自分の感情に蓋をして我慢する癖を持っているパターンが多いです。
我慢癖を手放していこう!ということについては今までも書いていますが、そもそも我慢とは?というところについて書いていこうと思います。
我慢とは
我慢が当たり前になっている人は我慢が何か?と問われても、それが当たり前になっているわけですから「我慢…?してないけど?」みたいなことを考えていたりします。
我慢が見えない化しているわけですね。
ですから誰かに「大丈夫?」と問われても「大丈夫」と答えます。大丈夫と答える選択肢しか知らないのです。
通常ならNOを言うようなところでも「NOと言ってはいけない」「耐えなければいけない」としか教わっていないのですから当然です。
我慢のサイン
我慢をしている時にはサインがあらわれます。
心のサインとしては、わかりやすいもので言えばイライラしやすくなります。また、過度に何かにのめり込む傾向(依存傾向)、逆に何にも大して心を動かされない、などもそうですね。
我慢によるストレスを発散する方向に出るのか、抑うつ傾向に出るのかは人やその人の状態によって異なります。
ただ、同一人物であっても、非常に仕事熱心だった人が一転してバーンアウトでうつ状態になる、ということも特別珍しくありません。
我慢のサインは心だけはなく身体にもあらわれます。
大抵、長年我慢をし続けている人は身体がNOを言います。
それは何も「心の病気」というカテゴリーに入っている疾患だけではありません。西洋医学の考え方から心の病気と身体の病気を分けて治療が進められてきましたが、近年では精神的なものが与える影響というものも注目されているようです。
先日アンケートを記事にまとめましたが、被害者の健康被害は甚大です。
頭痛、胃痛、呑気症、過敏性腸症候群、摂食障害、睡眠障害…etc.ストレスでそうなる、と言われているものも多くありますが、笑いががんへの免疫力に影響している研究結果もありますから、ストレスが身体に与えている影響も推して知るべしですね。
人はストレスで病気になります。心と身体は繋がっているのです。
好き嫌いの感度をあげる
我慢癖を持っている人は「我慢すること」に適応しているあまり、自分の好き嫌いの感覚を大切にしてもらってきていません。
「周囲の人間にとってのいい子」として生きる、ということは、本来のその人として生きていないということです。その大きな代償として、自分の好き嫌いの感覚を育んできていないのですね。
「あなたはこれが好きでしょ?」
「嫌い?わがまま言わないの。喜びなさい。」
こういった支配的なコミュニケーションはあなたの好き嫌いに蓋をします。
周囲の人間から「感じるべきこと」を押し付けられてきているのです。
あなたの好き嫌いは何ですか?まずは自分の感覚と向き合いましょう。
好き嫌いに対してジャッジしない
好き嫌いに「べき」はありません。
好き嫌いはそこに「ある」ものです。
自己愛者のコミュニケーションは「お前はこう感じるべき」「そんなふうに感じるなんてお前はおかしい」ですが、これは自他境界が不全な自己愛者の特徴であり、また被害者が被害者としてとどまるきっかけとなる洗脳のためのステップです。
「自分の感覚がおかしい」と思わされる、ということは他人の支配を受け入れることになります。
本来「べき」ではない領域に、他人の「べき」を侵入させるからです。
内面に他人の「べき」が入り込むため、そこに支配関係が成立してしまいます。
あなたが好きだと感じたこと、あなたが嫌いだと思ったことを「べき」でジャッジしてはいけません。それは支配者があなたに植え付けた「被支配者であれ」という呪いです。
好きな人と嫌いな人がいていい
自分の親が嫌いだと認めることはしんどいです。
信じたいし愛されたい気持ちがあるからこそ、執着を絶つことができず、「私は許した」ということにしてしまってまた我慢する、というパターンも多いです。
そういった人はそれこそ我慢しているわけですから、「親が嫌いだ」と言う人にイライラします。
人を嫌っていいんです。
親だって、嫌っていいんですよ。
まずは好き嫌いを大切にしてください。
そうして感じ切った先に、「こういうところは好き」「こういうところは嫌い」と、問題が明確になってきます。
そして、「嫌い」の感情が落ち着いてくると、その人の背景も理解できるようになります。
もちろん、頭で理解しても心で受け止めきれない時間もありますが。
罪を憎んで人を憎まず、という言葉がありますが、それは我慢の先にある感覚ではありません。
あなたの全ての感情を受け入れた先にある感覚です。
「許そう」というのも、我慢の先に許しがあるわけではありません。だってまだあなたは自分の感情を許していないのですから。
まずはあなた自身を、あなたの感情を、あなたができる限りしてきた選択を、あなたがボロボロになりながらでも頑張って歩んできた人生を労い、許してください。