罪悪感を植え付けてくる人・親は自己愛性パーソナリティ障害かも

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なんでこんな態度をとられるのだろう?なんでこんなことを言われるのだう?
あの人の言動に触れるまでは存在しなかった罪悪感が生まれ、別に悪いことをしたわけではないのに心がもやもやと「まるで自分が悪いかのように感じてしまう」。

こういう人間関係に困っている方はいませんか?

今回は罪悪感をつかって人をコントロールする人についての記事になります。

罪悪感によるマニピュレーション

罪悪感を植え付ける行為というのはマニピュレーションの一種です。
マニピュレーションとは、他人をコントロールしようとする行為のことです。

罪悪感を用いたマニピュレーションには、「被害者が加害者に忖度するようになる」傾向があり、被害者は自分軸を手放すように仕向けられることになります。

例)

被害者が趣味を楽しんでいる時に限って、加害者は目の前で忙しさ・大変さ・苦痛さをアピールして、「そんな暇があるなんて羨ましい」などと言ったりする。

→趣味を楽しむことに罪悪感が生まれる。暇を楽しんではいけない気がする。常に「べき」をやらないと不安になるようになる。など。

罪悪感を用いたマニピュレーションは何も言葉だけではありません。何かと関連付けられたような不機嫌な態度などもマニピュレーションです。

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罪悪感を植え付けて人をコントロールする人の心理

人をコントロールせずにはいられない人がいます。
そういった人には自他の境界が無く「人と人が違う」という感覚が存在しないため、他人を尊重するという能力がありません。全ての他者は自分の延長線上でしか捉えることができません。

そもそも「別の個体である」ときちんと認識できない状態にあるわけですから、必然的に人間関係は常に支配されるか支配するかの「コントロール」が軸になります。自分の手足をうまく動かそうとする感じですね。

健全な環境の中で育った人は、成長の過程で自分と他人が別の存在であり、それぞれがとても価値のある存在である、ということを学びます。
ところが、こういった自我や自己愛の発達をうまく遂げることができないまま大人になってしまった人は、成長の中で「等身大の自分」というものを獲得しそこなっているため、他者とのコミュニケーションに問題を抱えてしまいます。そしてその問題のあるコミュニケーションにより他者までもを自分の問題へと引き摺り込み、巻き添えにしていきます。

こういった問題行動をよくおこす障害として、自己愛性パーソナリティ障害があります。

マニピュレーションもこの自己愛性パーソナリティ障害がよく行う行為のひとつですが、特にマニピュレーションに特化したタイプはマニピュレーターといいます。

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自己愛性パーソナリティ障害が植え付ける罪悪感の傾向

罪悪感を植え付けてくる人が自己愛性パーソナリティ障害であった場合、その「罪悪感」にはある傾向があります。

自己愛性パーソナリティ障害の場合、「自分がない」「自分と他人の区別がつかない」という特性のため、患者本人は人生を楽しめません。常に自分の存在を肯定する材料を自分以外から摂取しなくては生きていけないような飢餓感を抱えながら生きています。自分が無いからこそ、相対的に「自分は素晴らしい価値のある存在である」と自惚れることができる材料をいつも探し、時には無理矢理にでも作り出して生きています。

したがって、目の前の相手の「健全な自我」が見える時、それをとても羨ましく感じるとともに、「自分よりも価値があるもの」を受け入れることができないため妬ましさから破壊しようとします。

なぜなら、相対的価値でしか自分の価値を確認することができない自己愛性パーソナリティ障害にとって、自分よりも価値のあるものを受け入れることは価値の無い自分を受け入れることになってしまい、それは阻止しなければ精神をまともに保つことができないからです。

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自己愛性パーソナリティ障害は、その境界の無さと優越欲求により、特に依存した相手に対しては顕著に「お前はお前であるな」「お前は私よりも惨めでいろ」というメッセージを様々な形で送り続けます。

被害者が何かにチャンレンジしようとすれば水をさし、自由に生きることに罪悪感を植え付け、特技を発揮しようとすればその輝きに泥をかけて無かったことにします。被害者が自慢などしていなくとも、見せびらかしている・傲慢だ・人の気持ちがわからない思いやりのない自分勝手な人間であると罵ることもあるでしょう。

こういったメッセージを受け取り続けた被害者は、これらの「捏造された罪」により、自分らしく生きること、何かを持っていることに罪悪感をおぼえるようになっていき、自分軸を失っていきます。

自己愛性パーソナリティ障害はまさにゾンビのように、自己愛性パーソナリティ障害を再生産しようとします。

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自己愛性パーソナリティ障害が植え付けた罪悪感の種は、相手の力を奪い、自分軸を破壊することで自分の人生を思うように生きられなくします。そして自信を失った被害者は劣等感・無価値感を抱えるようになり、人生の被害者となり、自己愛性パーソナリティ障害と同様に被害者意識に苛まれながら生きていくようになります。

こういった「ありのままの自分ではいけない」という思い込みは、それを補うための依存症傾向を強くします。

何に依存するのか?という点は人によって出方が違いますが、自己愛性パーソナリティ障害にアルコール依存やワーカーホリックが多い点などからも、パーソナリティ障害と依存症には深い関係があるのではないかと考えられます。特に有害な自己愛性パーソナリティ障害は、加害行為に依存した状態にあります。また、自己愛性パーソナリティ障害のターゲットになりやすい人物像には共依存が多いという傾向があります。

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無実の罪を手放す

なすりつけられた罪悪感は、人を毒する有害なもので、むしろ必要のないものです。

相手の言動に翻弄されてしまうこともあるかもしれませんが、「自分の機嫌は自分でとる」のが基本です。相手の機嫌を維持するために、相手の言動によってこちらが態度を変える必要は本来ありません。

相手の機嫌は相手のもの。

しっかりと心に境界線をひいてください。そして、「とはいえ同居しているからな」などと感じる場合は、相手の障害を理解した上での対応として、自分で自分の選択として振る舞いを決定してください。

こういった、対人トラブルが起こった時にその課題の責任の所在を明確にし、自分のものと相手のものをきちんと分けることを「課題の分離」と言います。

自己愛性パーソナリティ障害は自我が未発達ですので、自分で自分の課題を解決することが出来ません。そのため、自分の不快感情は全て他人のせいにします。自己愛性パーソナリティ障害と一緒にいると、相手の課題を自分の課題だと責任転嫁されてしまいますが、受け取らないでください。

罪悪感に毒されてしまうと短い時間では済まない人生が、有意義とは言い難いものになってしまいます。「ありのままの自分ではいけない」からこそ、自分ではないものになろうとすることに膨大な時間と労力を注いでしまいます。

これは個人的な話ですが、私もこの無実の罪悪感に長年苦しんでいました。摂食障害もありましたが、共依存でもありました。今でこそ自分が依存症だったということがわかりますが、自分が依存症のときはそれを自覚することが難しいです。なぜなら自分でコントロールできないからこそ依存症だからです。

無実の有毒な罪悪感で20年、生き方を間違えました。有毒な人間関係ばかりを家庭の外でも再現しました。

ぜひ気づきをきっかけに、読者の皆様は幸せな人生を生きてください。応援しています。

他にも人間関係の悩みや自己愛性パーソナリティ障害に関する記事を多く書いてますので、是非参考になさってください。

自己愛性パーソナリティ障害が生まれ育つ背景には自己愛性パーソナリティ障害の親がいることが殆どです。そして、自己愛性パーソナリティ障害の被害に頻繁に遭ってしまう「被害者体質」、心理学的には共依存傾向のある人が生まれ育つ環境にも、多くの場合家族に自己愛性パーソナリティ障害がいます。
中学生・高校生くらいの方が読むことも想定して、なるべく言葉を選びながら書いていきます。この記事にたどり着いたあなたは、なんだかよその家庭と自分の家庭が違うような気がしているのではないかと思います。そして、家族の問題とは別に、理由はわからないけれど自分は価値の無い人間のような気がしているかも

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