相手の一方的な勘違いや、相手のミスや悪意によって被った損害について話し合いの場がもたれた時、やっと謝った…はずなのに相手の謝罪がおかしい。
「年上の人に対してすみませんでした。」
「(え?いや、そこじゃない…。)」
こんな経験ありませんか?
これは責任転嫁せずにはいられない自己愛が強い人のあるある言動です。
ケーススタディ~学校あるある仲間外れ案件~
冒頭に紹介したひとこと「年上の人に対してすみませんでした」は実際にあった発言です。
それに至る経緯はこちら。
<前提>
〇自己愛子・I子ら・タゲ子の女子グループ
〇自己愛母とタゲ母は接点あり
・自己愛母が「お前の子どもよりうちの子の方が優秀」といった意味のことを執拗にタゲ母に言う。
・自己愛子もタゲ子に情報を引き出すような質問をしては「私はそれよりも上」という話を繰り返すようなコミュニケーションをとる。
・I子らが自己愛子に「タゲ子が自己愛子の悪口言ってた」とデマを吹き込む。
・自己愛子とI子らがタゲ子を仲間外れにする。
・「お前んとこの子どものせいでうちの子が具合を悪くした」と自己愛母がタゲ親子の家へ突撃。
・無実の罪で糾弾されたタゲ親子は事実ではないと否定、仲間外れの件などが明るみになる。
自己愛母によるマウンティングは学校でのトラブルになりませんが、これはよくある「〇〇ちゃんが□□ちゃんの悪口言ってた」&仲間外れ(いじめ初期)案件として学校に話が伝わりました。
そこで明るみになったのは、当初グループで始めていた交換日記をタゲ子だけ飛ばすようになり、一緒に帰っている中でずっとタゲ子にはわからない話だけしてタゲ子を無視し続けていたこと。
要は「悪口を言っていた」という「いじめていいとする口実」をI子らが捏造してみんなでいじめていたわけです。
さて、事実が明らかになると都合が悪いのは自己愛母です。
タゲ母子を見下したかった自己愛母にとって、「タゲ子にいじめられている(悪口を言われている)」という口実はとても好都合でしたが、現実はむしろ逆でした。
本来ならば誤解して責め立てたことや仲間外れにしていたことを謝罪する場面です。
しかし、この自己愛母はタゲ母に対して冒頭の台詞「年上の人に対してすみませんでした」と言いました。
タゲ母は困惑した様子でしたが、「謝った事実」として受け取らねばならないと感じたのでしょう。それでこの件は終わりになり、その後この自己愛子とタゲ子は二度と同じクラスにならないように中学校まで申し送りがなされることになりました。
※この件で「悪口を言ってた」とデマを流したのはI子らですが、自己愛母が「タゲ子にうちの子がいじめられてる!」と被害者宅に突撃したことにより大事になってしまったためI子らは出てきません。ちなみにI子らがやった、人を対立させる手法はトライアンギュレーションというもので自己愛性パーソナリティ障害の人がよくやります。いじめっ子は類友なのですね。
自分の非を認められない
自己愛性パーソナリティ障害の人は自分の非を認めることに困難があります。
自分は特別で、優越的存在で、正しくなければその存在を認められないため、「そうではない事実」は受け取りません。
上記のケースのように、事実が明らかになった時でも、責任を追及されるような場面であってもそれは変わりません。
そこでよくやるのがこの「謝るポイントをずらして謝ったことにする」という手法です。
重大な過失を認めない 代わりに、軽微などうでもいいことを謝るのです。
これにより謝罪したという功績だけ得ようとするわけです。
ケースで紹介した自己愛母は、他にも自己愛性パーソナリティ障害の人によくある言動が見られる人でしたが、この手の人達は「偉大な自分・その手足としての子ども」を通して世界を認識しているため、その世界を守るために現実を歪めようとせずにはいられません。
自己愛母は教育熱心で、自己愛子はバレエにピアノに塾にといつも忙しい様子でした。一方のタゲ子は親の社会的地位が高く利発で目立つ子でした。二人ともタイプは違いますが優等生です。自己愛母にとってタゲ子は邪魔な存在だったのでしょう。
被害者の「落ち度」ではない
人間関係のトラブルは、落ち度があったからトラブルに巻き込まれるわけではありません。
犯罪者はそこかしこにいるものです。そしてその被害に遭うか遭わないかは運です。それと同じです。
精神世界の犯罪者は、被害者を加害者に仕立て上げ、「私は被害者だ」と言いながら加害します。
このブログではこういう人がいる、ということお知らせしています。
これらの知識を今後の人生にお役立ていただければと思います。