自己愛性パーソナリティ障害の被害者が抱えるトラウマ(後遺症)

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自己愛性パーソナリティ障害という概念を知る時

自己愛性パーソナリティ障害(人格障害)を知った時の、言葉にできない違和感と不快感を説明してくれるものに出会った喜び。

多くの被害者はきっとそうなのだろうと思います。

殆どの人がストレスでおかしくなりそうな状況の中で、「これは一体何なのか?」と調べ、そして出会う「自己愛性パーソナリティ障害(自己愛性人格障害)」という概念。

そこに書いてあることの殆どが「どうして知っているのか?」という程に酷似した内容ばかり…。

自分が関わっていたその人が、見た目には普通の人間の姿をしていながらも大きな欠損を抱えているがゆえにそのような行動をとっていたのだという確信を持つようになる過程、そしてそれとともに、現実を受け入れるには受けた被害が大き過ぎ、やり場のない憤りや喪失感に苦しんでなかなか「過去のこと」として片付けられない被害者。

それは、おそらくこの記事で出会ったあなた。そして過去の私です。

この記事を書いたのは2年前で、今ほど傷が癒えておらず、文章の随所に心身の健康を害している人が書いている人特有の気配が漂っていたので少し記事を直しました。

ここでは私の経験を書こうと思います。

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自己愛性パーソナリティ障害の加害者本人に対峙した時に起こるストレス症状の数々

当時の私は既に限界でした。

加害者である自己愛性パーソナリティ障害の名前を聞くだけで動悸がし、変な汗が出てくる状態でした。また、タイミングの悪いことに自己愛性パーソナリティ障害の被害に加え、別の場所ではボーダーからもターゲットになっており、過剰なストレスから不眠症、過食症、情緒不安定など、様々な症状が出ていました。

ところが、そのような被害に遭っている状況であるにも関わらず、頭の中には「お前が悪い」とでも言うように私を責める自己愛性パーソナリティ障害や取り巻きの表情が頭に浮かび、「ねばならない」という思考に支配されつつもそうできない自分に対する自己嫌悪や無価値感が溢れ出していました。

自分を責める気持ちと相手を滅多刺しにしたいような激情が自分の中で嵐のように渦巻き、自分の感情が自分で認識できる状態では無く、感情の起伏がとても激しくなっていました。

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自己愛性パーソナリティ障害の手口~被害体験

奴らのやり方はいつでも、いつもいつも、とても卑怯でした。

とにかく卑怯でした。

責任を取る能力が存在しない奴らはいつも陰湿に、証拠が残らないように、曖昧に、でも確実に攻撃的な意図を持って私にダメージを積極的に与えてきました。

これを知ったのは後からですが、当時コミュニティの中で気がついている人もいたようです。ただ、巻き込まれないように距離をおいていました。

そんな中、自己愛は、私が仲の良かった人間関係や私が所属しているコミュニティに入り込んではそこで私に対する不信を種を蒔き人間関係を破壊していました。気がついている人もいた、などというのは当時の私はわかっていなかったので、私はすっかり居場所を失った気持ちになっていました。

自己愛性パーソナリティ障害のあるあるな手口でしたが、そんなことは当時は知りませんでした。また、インターネットの情報量も今ほど無かったので、被害に遭っていたリアルタイムでは「検索したらわかる」という状況ではありませんでした。

―――

自己愛はいつでも嘘をつきました。
嘘の被害を訴えては私を加害者に仕立て上げました。
何度も何度も火のない所にたくさんの煙がたちました。

自己愛の演出するストーリーの中で、私は自己愛に嫉妬して嫌がらせをするヒロインの敵のような悪役に仕立て上げられました。周囲から「いいライバルだ」などと勝手に噂されていたことが自己愛のストーリーには都合がよく、自己愛は自分を才能あふれる悲劇のヒロインにしました。現実の自己愛はむしろ、周囲にライバル扱いされていた私を潰すために私を汚い手を使って陥れる人間でしたが。

見事な演技力と計画性でした。取り巻きの代替攻撃も素晴らしく、今思えば彼女は自己愛の中でも相当頭がよく、洗脳の手腕にも長けていたのだと思います。

私は気持ち悪いのものに自分を破壊されていくような独特な息苦しさを味わいました。とにかく苦しかったです。理解を求めても張られた罪人のレッテルがべったりと私に張り付いていて、もがいてももがいても泥沼にハマっていくような感じがしていました。

無実の罪をたくさんでっちあげられ、人から責められて人格を否定されました。

そしていつの間にか出来上がった自己愛が作った私のイメージによって、私のあらゆる言動にネガティブな意味付けがされるようになりました。厚意でやった雑用のとりまとめすら、自己愛を意図的に仲間外れにするためだと思われました。

もう無理だと思って逃れようとすると何故かありもしないはずの「責任」を追求され、逃げようとするその人格をさらに否定され、「責任」という名の無償労働をやるように求められました。私は自己愛によって人格的な価値を値引かれた上に、そのスキルくらいは無償で周囲に提供して然るべきだというような都合のいい人間のような扱いを受けるようになっていました。

自己愛の演出によって私は「目立ちたがり」で「人の上に立ちたがる」「そのために目障りな人間を陥れる人間」にされており、当初厚意からやっていた初心者指導ももうこの関係性の中では嫌だと感じるようになっていましたが、やって当然といった目で見られるようになっており場を離れることを許されませんでした。

人として尊重されず、モノとして都合よく扱われることにどんどん心が死んでいきました。

―――

手足を絡め取られるようにどんどん不自由で居心地が悪くなっていく生活に、突然涙が止まらなくなったり、名前を聞いただけで動悸がするようになりました。

モラルハラスメントが始まってから3年半が経っていました。

長すぎました。

やっと3月がきて環境が変わりましたが、傷跡は深く後遺症が残りました。

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離れてからも身体症状が起きる

やっともう会わなくなったのに、ストレス症状が止まりませんでした。

自己愛は離れてからも影響を与えようと、度々人を使って嫌がらせを続けてきました。また嘘をついて私が加害者であるとでっちあげて。

信じる人(取り巻き)が執拗に、私に「そういうのはよくない」と説教をしてきました。私が違うと言っても信じず、聞く耳も持たず、ただ悪人を裁く善人という態度で私を「人としてどうかと思う」とまで言って非難してきました。取り巻きももはやまともではありませんでした。

入眠障害になりました。

眠りにつこうと思うと当時のことが思い出されて心臓がバクバクして、イライラががおさまりませんでした。そして涙が止まりませんでした。

やっと眠れても日中に強度の眠気が突然襲ってきて、その場で倒れてそのまま眠ってしまったり、とても日常生活が普通におくれる状態ではなくなっていました。

でも当時はもはや心が壊れておりまともな思考ができませんでした。

挙動不審に情緒不安定、睡眠障害、と今思い返せばどれも心療内科に行くべき案件でしたがそれもせず、ただただ混乱の中にいながら当時の不快感をひたすらノートに書きなぐったりしていました。賠償請求をすればよかったとも今なら思いますが、「とにかく関わりたくない」「あんな奴のために自分の時間を使いたくない」という気持ちと「この怒りをぶちまけたい」という気持ちが心の中でぐるぐるしていました。

そんな状態を過ごしながら自己愛と離れて半年くらいが経過した頃、初めて「自己愛性人格障害(パーソナリティ障害)」の概念を知りました。当時はまだそこまで情報が無い時代でしたが、書籍を読み漁りあらゆることがつながりました。「あぁ、彼女は自己愛性人格障害だったのだ」、と。

頭では理解しました。そうはいってもなかなかすぐに激情がおさまることはありませんでしたが。

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時間薬

この記事にたどり着く方はきっとまだ検索をするくらいですから、被害を受けてそこまで時は経っていないのだろうと思います。

頭では理解しても、心がついていくにはとても時間がかかります。

ずっと攻撃を受けていたのですから離れたからと言って傷が一瞬で消えたりはしません。
ずっとずっとナイフで切りつけられていた心は出血もするでしょう。やっと塞がってきていても無理をすれば傷口が開くでしょう。全く無傷な時の状態にはきっと戻らないと思います。それは何度も傷を作った皮膚が分厚くなるという現象も含めて。

怪我をしたら治るのに時間がかかるのと同じで、たとえ適切な治療をしていても時間薬は必要です。

私の場合、入眠障害が治るまでにおよそ10ヶ月程度を要しました。壊された自尊心で挙動不審が治るのには3年弱。仕事をしようにも面接にはことごとく落ちました。

自分で言うのもなんですが、大学の成績は抜群に良かったです。リーダー的な仕事もそれまで何度もやってきました。それでも、心が壊れた私は傍目にもとてもまともな人に見えない状態でした。今思い返すと明らかに挙動不審でしたし、面接での受け答えも自分で「何を言っているのかわからない」状態でした。

今思うと、本当に「自分自身を破壊された」のだと思います。

夜も昼も、度々思い出しては感情が激しく乱れるということはその後6年くらい続きました。

10年以上が経過した今、だいぶ落ち着いてこの記事を書いていますが、それでもやはり自己愛のことを許してはいませんし、正直、○○ばいいとすら思っています。それくらい今も嫌いです。想像の世界で何度○したのか知れません。

被害にあった人は、相談してもわかってもらえなかったり二次被害にあうことが多いです。
残念なことに被害に遭ったことがない人に自己愛性パーソナリティ障害の被害に遭った時特有の、独特な気持ち悪さや異様さを理解するのは難しいからです。

私が被害に遭っていた当時は、「自己愛性人格障害(自己愛性パーソナリティ障害)」という言葉すら全然知られていませんでした。ネットですら情報が少なかった時代で、被害を訴えても「考えすぎ」などと言われ、二次被害のテンプレのような扱いでした。

幸い夫は理解してくれたことが何よりも私にとっての救いだったと思います。

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トラウマからの脱出

どうか安全な場所で、手書きで紙に書きなぐるのでもいいです。ネット上に匿名で綴るのでもいいです。自分の心を癒やすことを丁寧にしていっていただきたいと願います。

散々抑圧して踏みにじられてしまった自分の心をもう一度見つめ直して、自分の中に溜まったままになっている感情を発散することはその助けになると思います。

私も何度も何度も、泣き、喚き、時に怒鳴り、布団を殴り、頭の中で何度も何度も彼女を○しました。ノートにも随分と罵詈雑言を書きなぐりました。

モラハラ被害に遭った人の中では、当時我慢してしまった感情が強いエネルギーを持ったまま溜まって腐敗してしまっていることがよくあります。その怒りは本来感じて然るべき感情でした。ずっとずっと「お前が悪い」と、本当は悪くもなんとも無いのに自己愛の感情のゴミ箱にされていたのですから。

感情を出すことは悪いことではありません。

でもそれは安全な場所で、人を傷つけないように発散して欲しいです。

でないとまたその人だけではなく、自分自身も傷つくことにもなってしまうから。

自己愛性パーソナリティ障害の人は持つことが出来なかった良心を持っているアナタだから。

■関連記事■

「自分の人生を楽しむことが一番の復讐である」というのはよく言われることですが、それはやられっぱなしで、相手の責任をなすりつけられたまま怒りを抑圧していてはなかなかできることではありません。その言葉が自分で納得できるようになるには段階があります。自己愛性人格障害の被害者は犯罪被害者と同じ
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ここでは一般的に自分からは病院を受診することが滅多に無い「自己愛性人格障害としか思えない人々」についての個人の体験談を書いていこうと思います。 他人が勝手に「あいつは人格障害だ」などとジャッジすることは望ましいことではありませんが、行動には健全なコミュニケーションパターンとは明らかに違う特定のパターンがある以上、そのパターンを知っていることは自衛のためには非常に有効だと私個人は考えますので共有しようと思います。

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コメント

  1. ももか より:

    はじめまして。ももかと申します。
    まさに私の思ってることをドンピシャで表現して下さっているこのページに出会い、救われる思いです。

    自己愛+取り巻きから逃げて1年以上経っているのに、つい先日、新しい人間関係でフラッシュバックを起こし、健全な人間関係が築けずにいます。時間薬が癒してくれると思っていましたが、まだまだ早かったのですね…。落ち込みますし、そんな自分が嫌いです。

    新規の集団の中に入ると、上層部の中にけっこうな割合で彼らが存在しますので、つい過敏になり突っかかってしまいます。完全に不審者かメンヘラに見えます。

    私もナル様と同じく、さらに2倍くらいの時間が必要なのかもしれませんね。人生は短いのに、つい焦ってしまいます。

    ご家族の理解があったのですね、羨ましいです^^私の親は毒親で、「頭がおかしくなったんじゃないか」「あなたが弱いから悪いのでは」の二次被害のセリフのオンパレードでした。

    彼らに似た体格、立場、状況になると冷や汗や動悸で逃げ出したくなります。いつか良くなるのでしょうか。そんな日が想像がつきません。ひたすら辛いです。

    長々と失礼しました。彼らの思考回路は理解できたものの、断固認めたくありませんね。

    • kinimini より:

      ご訪問どうもありがとうございます。お返信が遅くなりすみません。
      私と同じ思いをしてきた人の励みになると、私自身もとても嬉しく思います。
      どうかどうか、ご自身を大切に。
      ももかさんは被害者です。怪我をしたら、病気をしたら、治るまで大事にしてあげてください。
      リハビリはもう少し先でもいいと思いますよ。

  2. humi より:

    こんにちは。私も被害に遭った者です。病気を調べて検索するうちにこちらの記事に辿り着きました。
    思っていたことすべてが記載されていました。

    私のときは、私の発言を聞いた自己愛が自らを批判されたのだと思い込み、あの人が酷いことを言ってきた、とても傷ついたのだと演技じみた言い回しで周りに吹聴されました。
    取り巻きからも攻撃をされ、事情を知らない人たちは私の失言が自己愛を傷つけたのだと信じ込んでいますし、中立の立場の人に説明しても、お互いの性格が合わなかっただけと理解してもらえませんでした。
    信頼できる方々に事情を説明したのも気に入らなかったらしく、裏で手を回して仲間はずれを企てる悪人扱いを受けています。
    さらにその自己愛は私の発言がきっかけで自殺未遂をしたとまで言い出しました。
    私は自覚がなかったのですが、信頼できる方に「自己愛はあなたに対抗心を燃やしていたのではないか」と言われました。

    まだ自己愛の名前を見ると動悸がして、頭がぎゅーと締め付けられるような感覚になります。被害に遭ったばかりの頃は毎日イライラして気持ちの整理ができませんでした。
    すぐに気持ちの切り替えができない自分は粘着質な性格なのではないかとも思いました。
    今は本を読んで境界例や自己愛の知識は増えてきましたが、頭では理解できてもふとした瞬間に怒りが沸いてきます。
    私も必ず、ナル様のように立ち上がってみせます。
    こちらの記事に辿り着くことができてよかったです。

  3. かず より:

    はじめまして

    自身も引き寄せやすい性格なのか
    3人ほど被害を受けました。

    逃げることはしませんでしたが
    孤立やひどい人間等の吹き込み、取り巻きを使った嫌がらせなど読む限り同じような感じです。

    責任を追及されたら追及返し。
    人格を否定されたら否定返し。
    形だけの取り巻きは外に出たら誰も守ってくれないんだぞという状況をつくり毎回乗り切ってます。

    結果、自身は大丈夫でしたが周りに被害が及び誰もいなくなるという状況になりました。

    一人一人倒していくという選択肢もありますのでという経験です。

    • kinimini より:

      コメントありがとうございます。
      なかなか骨の折れる作業ですが、その人自身は変わらなくてもポジジョンが変われば扱いは変わりますね。

  4. ぴっぴー より:

    自己愛かー …

    そいう人ってクソ面倒くさいんですよね。相手するの。

    今でこそ 対人関係も事象の一つ と分かったのでそんなに気にしてませんが、自分の存在と同等の何か と認識してた頃は疲れちゃってました(汗)。

    一番いいのは、 気にならなくなること(取り巻きも同様の扱い) だなと感じます。

    結局、最後に全部分かっちゃうと思うので … 主さんの相手のように(笑)。

    暫くモヤモヤした日が続いたのですが、今は普通な感じです。(自身の本質を知る過程で分岐点にぶつかり、一気に変わりました)

    〈追記〉

    主さんの気持ち、よく分かります。(殺意・憎悪は絶対に消えない)

    私も、昔の父親に対して同じことを思っています。(今の父親は尊敬しています)

    時間が経とうが、その時のそいつは私の中で 生きている んですよね(今立派⇒だから昔の事は取り消し…とはならない)。 この感覚は被害にあわないと(トラウマ級の)分からないと思います。主さんの感覚は、普通であり当たり前です!

    周りがどういおうが、私は認めます。知っているので!

  5. はちさん より:

    まさに私の事例かと思う程、一致することだらけです。私が死なないとでも思っているのか?人をサンドバッグとでも思っているのか。生身の人間なんだぞって。

    3月末で退職し、距離は取れましたが、許せないぐるぐる思考で、苦しんでいました。こんなに苦しんでいるのに、仮病だと悪口言いまくりかと思うと、本当人間??ですか???って疑います。

    離職して2週間くらいして、許さなくていいんだって、なんか浮かんで来て、少し気持ちが軽くなりました。許せない自分がだめな人間なのでは、と自責にかられました。許せないものを許そうとして葛藤するから、自分を苦しめてたんだと気付きました。

    許せない様な酷いこと(心を殺された)されたんだから、ちゃんと怒っていいんだと自分に向かって家の中で叫びました。まだ笑う事が出来ません。回復の旅路はまだまだこれからです。

    • kinimini より:

      コメントありがとうございます。
      承認が遅くなりすみません。

      被害、それを自覚するのに時間がかかればかかるほど、回復にもそれ相応の時間がかかるかと思います。
      自己愛性パーソナリティ障害がどういうものかを知ると、それが「障害」なのだと納得できた時、自分の問題にされていたことの殆どが相手のせいだったことに気がついて楽になれると思います。
      どうかご自愛ください。

  6. egg より:

    はじめまして
    派遣先で全く同じ経験をし、期間満了でなんとか終了しました。私も3年6か月ほど、ターゲットとなり、理解してもらえない状況でとてもつらく苦しかったです。
    あれから1年程経ちますが、未だに時々その時の八方塞がりな状況を思い出して感情が揺さぶられる事があり、つらいです。
    たくさんの自己愛のそれぞれの思惑の中でダブルバインド状態となり、本当に壊れました。

    やはり、被害に遭わないと理解してもらえず、被害をうまく語れないくらい巧妙で、
    こうやってブログに上げてくれた記事をみて
    私が、おかしかったのではなかったんだと、安心する事ができました。
    ようやく少し立ち直り、元同僚に会った際も、私が悪いと言われ、辞めてなお苦しかったです。

    私も、立ち直りのために心理学の勉強をしている中でこちらのブログにあいました。
    ありがとうございます。

    • kinimini より:

      はじめまして。
      普段の生活の中で被害を理解してもらうのはなかなか大変なことと思います。
      ツイッターなどでは同様の経験をした方が数多く発信しておりますので、もし気が向いたら覗いてみてください。
      被害者になる方は真面目で優しい方が多いですよ。

  7. Vitamin より:

    こんにちは
    この記事を読んでお気持ち痛いほどわかります。この辛さは体験した人でしかわからないですよね。周りに言っても理解されない辛さ、二次被害です。
    関係ない友人に言っても理解されない場合があるので周りにも話せないことがある。。

    私は対象が恋人でしたが職場が同じで切れずにいます。別れた後も私の仲良い同僚や上司に平気な顔してやたら親密に近づいてきています。

    幸い先手を打っていたので職場内で味方はいますが、皆本当に味方なのかな?と疑心暗鬼です。

    私が精神的に食らうことが相手にとっておいしいと思うので、早く立ち直っていきたいです。

    体験談を公開していただいてありがとうございました。

    • kinimini より:

      コメントどうもありがとうございます。
      同じコミュニティに所属し続けることはしんどいですよね。
      私は全てのコミュニティとさようならしてしまいました。再構築などできる気持ちになれなかったからです。
      どうか、ご自愛ください。
      Vitaminさんの傷が癒やされて、心ある人達との時間に満たされることをお祈りしております。

  8. 名無し より:

    いつもブログを楽しみに見させていただいております。
    もし傷つけることがあったらとコメントできずにおりました。
    私自身、母が自己愛性人格障害で姉もまたその気質に育ちました。私は幼少期に、精神を壊してジゾイドパーソナリティ障害となりました。感情の起伏がなく、悲しみや怒りがわからない人間に育ちました。おそらく防衛反応だったのでしょう。痛みも鈍く自分の怪我にも気づかない、人が倒れても動揺すらできません。成長して母は私に接するたびに錯乱します。感情が見えずどれだけ挑発しても母が痛みを訴えても無関心だからです。自己愛性人格障害にとっては一番恐ろしい相手になったのでしょうか。愛の反対は無関心とはいいますが。この代償は大きいと思います。ここにいる皆さんは、憎しみが残っている間に人間らしい心を取り戻せると思います。応援しております。

    • kinimini より:

      どうもありがとうございます。
      ご自身を分析して簡潔にまとめてある文章から、そうせざるを得ない背景があったからなのだろうと感じました。
      大きな代償だったと思います。ただ、こちらにこのようなあたたかなコメントを残そうと思うその心を私は素敵だと感じました。