他人を自己愛性人格障害だと思って接することについて/区別と差別

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自己愛性パーソナリティ障害の被害に遭いやすい人の特徴のひとつとして、相手を性善説的に見すぎるということがあります。相手を自分と同じだと思いすぎる傾向とも言えるでしょう。
また、「相手を勝手に人格障害者扱いするなんてひどい」という価値観を持っている人もたまに見受けられます。

私はこのブログで散々、「こういう人って自己愛かもしれないよね」っていうことを書きまくっています。医者でもありません。ただ、心理学の本を読んだだけの一般人、元被害者です。

ですが、被害にあって10数年人生を台無しにしてしまった猛烈な後悔とともに、「相手を健常者だと思って接さない」ということがいかに大切だったのかと思っています。

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病気や障害というのは「健常な人と同じ対応ではいけない」ということ

病人には治療が必要です。障害を持っている人には適切なケアが必要です。それは差別ではありません。

病気や障害というものは単なる現実であって、それ自体に人としての価値が低いといった蔑むニュアンスといったものは本来ありません。

「相手を障害者扱いするなんて!」という人の心にこそ、障害者を差別する心がないかどうか見つめる必要があるのではないでしょうか。

知的障害にもその程度には差があって、日常生活がままならないものから、なんとなく生活するだけならできるけども細かいことが理解できないまま苦しんでいる人など色々です。カップラーメンなら作れるけれどいわゆる普通の料理は出来ないなど、その障害は実際にその人に接してみないと見えてこないことが殆どです。

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障害を持っている人に持っていない人と同等の要求をしてはいけない

自己愛性パーソナリティ障害は、健全な人間関係を築くことが困難です。自分が無いので他人が必要であり、また、他人を自己陶酔の道具として利用するような接し方しかできません。それは本人の努力云々という話ではないのです。

足が無い人に「きっと歩けるはず」「障害なんてないよ」と、義足を用意するでもなく接することが異常であることはわかりますよね。

ですが、人格障害の人間に対して多くの人はこれと同じような対応をしています。

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嘘をついて人を騙すことを当然とし、相手を貶めモラハラ、人を散々利用する傲慢な態度…

「こんなことするなんて最低!!」

…この憤りは、相手が障害者であるという視点を持つとどうでしょうか?
これらの行為が「症状」であるならば、関わり方として健常者と同等の振る舞いを期待すること自体が無意味なことがわかります。そして、この障害がどういう特性なのかを理解して接することができれば、関わりを持つ人の心も守ることができるわけですよね。

知らないままで自己愛者と関わり、相手を信じたいという気持ち(相手が健常者だと思いたい気持ち)を持ち続けていれば、相手の投影性同一視に洗脳されて心を破壊されしまいます。

相手のことを「もしかして自己愛性パーソナリティ障害なのでは?」という可能性を考慮することによって、随分と生きるのが楽になるとは思いませんか?
それは自分を守るためだけではなく、この知識が一般化すればするほど、自己愛性パーソナリティ障害がコミュニティ内に所属していても振り回される人が減ってコミュニティが破壊されない可能性をあげることができるというメリットももたらします。

「相手が自己愛性パーソナリティ障害かもしれない」と心の中で思うことには何の罪もありません。

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ナルシシズム(自己愛)の問題も程度は色々

知的障害にもグレーゾーンがあるように、人格障害にもその程度は色々だと経験的に感じています。

自己愛性パーソナリティ障害特有の行動パターンがひどければひどい程重度でしょうし、防衛機制によって自分のネガティブな側面を認識することが出来ないので治療は困難でしょう。

まれに自己愛性パーソナリティ障害が治ったという方がいらっしゃいますが、そういった方は防衛機制による発作的な反応がそこまでひどくなかったのではないかと個人的には思っています。

自己愛的な防衛がどの程度なのか?も、実際にその人と関わることでしか見えてきません。記憶がすっかり無くなってしまうような重度なのか、少しは自分の虚無感や攻撃的な衝動を自覚できるのか…?程度に差があるのは知的障害と同じですね。

この記事にたどり着いた方が、どの程度の「自己愛性パーソナリティ障害と思しき人」と関わっているのかはわかりませんが、相手が障害者であるという視点を持つことによって自分の心の平和を保ち健康的な生活ができることを応援しています。

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