自己愛者(自己愛性パーソナリティ障害の診断基準を満たすような振る舞いをする人)はいつも「自分は特別」です。
そしてそれは、「人間はひとりひとりみんな特別だよ☆」という意味の特別とは異なります。
愛を知らない自己愛者の世界においては、人間関係は上下関係と利害関係を基本とします。
ですので自分以外の人間のことを一人の人間として尊重するというという姿勢はありません。
自己愛者が他者をみたとき、どのように見るのか?
・こいつはステータスがあるから一緒にいると自分の地位が向上する。
・こいつは~が得意だから利用できる。
・こいつは殴ってもやり返してこないから怖くないし憂さ晴らしにちょうどいい。
・こいつ邪魔だから潰そう。
こういった感じです。
そうして人を利用し、人を踏みつけ、生き残るのが自己愛者です。
「自分は勝者だ」という意識
残念ながら、自己利益のみを追求するこの自己愛者的な生き方は資本主義社会において適応力が高いです。そもそも資本主義社会が自己愛者のような人間を求めている&自己愛者のような人間になるように煽っているともいえますが。(その方が不必要なものを売りつけやすいですしね)
そうして自己愛者は力を持ちます。
教育虐待家庭に生き、「勝者になれ、勝者になれば他人の人権など懐柔できる」ということを学んだような自己愛者だとその傾向はとても顕著です。
自己愛者にも社会的に成功している場合とそうでない場合がありますが、社会的に成功している場合、その支配的振る舞いはとどまることをしりません。芸能界では女性や後輩を非人道的に扱ったスキャンダルが出てきたりします。「(普通の人がドン引きする)ああいうことができる感性」がベースにあるのです。
なにせ自分は「他の下等な奴らとは違う特別な人間」なのですから。
先日「いじめっ子の方がコミュニケーション能力が高い」というポストを見ましたが、資本主義社会において求められる「コミュニケーション能力」はそもそも他者を尊重したコミュニケーションではありません。
その意味するところは「他人を思い通りに動かす支配力」です。
日本におけるパワハラの当たり前具合を思えば、異常なことを異常なことだと言えない&思えない人がいかに多いかということです。
高圧的に人に何かを強要する―本来これはもうコミュニケーションではないのに、それを「仕方が無いこと」だと思っている人がたくさんいます。
自己愛者の無意識
自己愛者は歪んだ認知ゆえ、人を人とも思わないことを平気でやれてしまいます。
他者はもはや心を持った人間ではありません。
「自分の言うことを下等な他の人間どもは当然きくべき」
こういう無意識があるので「自分は絶対に正しい」のです。
だから自分が支配しやすい他人に対して「教育」「躾」と言いながら暴力を振るいます。そしてその暴力に自覚も無く「自分様の思い通りにならないという被害を受けた」という感覚を持っています。
「わからせてやらないと」「教育しないと」「躾のため」…これらはDVやモラハラやパワハラの加害者がよく口にするフレーズです。このフレーズの裏側には前述のように、歪んだ認知が隠れています。
「本当は殴りたくなんかなかった。殴らされた。殴らされた俺の手の方が痛いんだ!!!」
「殴ってなんかいない。少し小突いただけだ。」
「むこうが先にやってきたんだ。自分を守るために手を出したら相手がぶつかってひっくり返ったんだ。」
加害者はいつも「自分は悪くない」という前提を持ち、それをもとにストーリーを後付けします。相手が自分の思い通りにならなかったから殴った。この事実は本人の中には「無い」のです。
自己愛者自身の中では、「聖人君子な自分は人を大切に思って」います。それ以外は「無い」んです。都合の悪いことは「無い」んです。
自己愛者の中では、相手が自分の思い通りになるべきなのは当然のことなのですが、そんな風に人格者の自分は思っていないはずなので、そこは「無い」んです。
ただ、加害者の中には「正しさ」があるだけです。
女性はこうあるべき。
後輩はこうすべき。
自分もこうだった。
自分は正しい。
そこに心は無いんです。
ただ、そういう上下関係・支配関係・虐待関係・利害関係を前提としたシステムを搭載していて、愛を知らないがゆえに刹那的に欲が満たされる行為に依存して動いているだけです。
わかりますか?
意味が分からないかもしれませんが、それくらい歪んでいるというのは伝わりますか?
自己愛者は自分より強い立場の人間には何も言わないことが多いです。それも人間関係の捉え方の問題です。自己愛者が認識しているのは上下関係なので、下の時は弱いのです。
立場が違っても「私はこう思うんですが…」と意見することもできる、健全な心のある会話が成立するという前提が存在しません。
ちなみに自己愛者が上司だった時に健全な心ある会話を期待して部下が意見をすると自己愛上司は「歯向かわれた」と感じ、ハラスメントに発展しやすいです。
違う世界を生きている人がいることを知ること
愛のある世界を生きている人間と愛のある世界を知らない人間とでは見ている世界が異なります。
愛のある世界を生きている人間同士は、互いにそれを当然として上手く交流します。
愛のある世界を知らない人間同士は、互いにそれを当然として上下・支配関係を作ります。
愛のある世界を知らない人間は、愛のある世界を生きている人間を「獲物」のように捉えたり、自分と同じ世界に引き摺り下ろそうとします。
大切なのは、違うものの見方をしている人間がいる、という前提を持って人と関わることです。そうすると罠にも気がつけるでしょう。