自己愛性パーソナリティ障害の人は、自己愛が病的なため心が健康ではありません。
よく「共感性が低い・無い」と言われますが、心が健康ではないので人の心に興味を持てる余裕は持ち合わせていません。よってそもそも他者と心の交流があるコミュニケーションをとることができません。
興味関心があることは、もっと生存に直結する「欲」に関係することです。
自己愛性パーソナリティ障害のコミュニケーションパターン
1.自分には価値があるという確認※を他者に要求
2.自分が勝っているという確認を他者に要求(事実かどうかは無関係)
3.他者が劣っているという確認を他者に要求(事実かどうかは無関係)
※確認というより、それは誘導的であったり高圧的であったりする。この確認を求められた人はそのコミュニケーションのニュアンスに自己愛的な独特の感覚を伴う。
自己愛者は病的な自己愛を抱えているがゆえに、自分で自分を認めることができません。
子どもが「見てみて~」と養育者などに自分の成果を見せにいき、認められると落ち着くという現象がありますが、この「見てみて~」を抱えたまま大人になっています。
大人になると価値判断の基準を自分で持つことができるようになりますが、自己愛者の中身は子どもなので、そのような基準を自分の中に持っていません。そこで自己愛者は常に自分と他者を比較して自分の価値を確認します。
ところが、この「価値の確認」において厄介なのが、自分の価値が低いかもしれない、自分が負けているかもしれないという現実はその不健康な自己愛ゆえに受け入れることができないという点です。
「自分なりにはよくできたな」という満足を得ることができないのです。
それほど心が育っていません。
そこで前述の確認作業です。
確認作業は自分ひとりで行うことができないため、必ず他者を必要とします。
この受け入れられない現実を歪めて確認する作業に他者を使います。
するとどういうことが起こるのかというと、皆さんが不快だと感じるコミュニケーションパターンになります。
1.自分には価値があるという確認を他者に要求
→自慢、「褒めて」アピール、自分を盛った嘘
2.自分が勝っているという確認を他者に要求(事実かどうかは無関係)
→マウンティング、印象操作
3.他者が劣っているという確認を他者に要求(事実かどうかは無関係)
→ディスり、悪口、濡れ衣を着せて名誉棄損
これらの行為は自己愛者あるあるです。
コミュニケーション、ではないですね。自己愛者が行っていることは基本的にコントロールと支配です。
理想化段階の時は共感を見せてきますが、あれも健康な大人のそれとは違います。
自己愛者には自分と他人の境界線がありませんので、褒めているときは「あなたは(私と同じで)素晴らしい」と褒めています。もともと語源が「ナルキッソス」ですから、水面に映った自分を褒めているだけです。
そして貶している時は「私の悪い部分はあなたよね」です。
本当の意味で他人は見えていないのです。他人を一人の人間として認識することができないのですから。
自己愛者は心のあるコミュニケーションをとることができません。
コメント
記事を発信していただいて、ありがとうございます。
周囲にあることないことを吹き込まれるなど、自分の思うようにターゲットの評価を下げられた時の意地悪な顔を、どこか冷めた顔で客観視しながら、受け流すことに徹していましたが、こちらもジワジワとダメージを受けていたという経験をしました。
辻褄の合わない、その場限りのパフォーマンスを繰り返す、承認欲求を自分で満たせない自己愛の強い人たちは、次から次へとターゲットをこき下ろしながら、何人も退職に追い込んでいたようですが、幼児的万能感がひどく、注意指導を受けると、誰かに投影したり、転嫁したり、論点をすり替えたり、勝ち負けをアピールしたり。周囲からも腫れ物扱いになり、すでに自滅していることに気づいていません。
というか、悪口言ってるか、取り巻き連れて喋ってるか、アピールしてるか、ターゲットをパワハラしてるかの給料泥棒よ!精神的に自立して仕事しな!ってやっと思えるようになりました(笑)。
周囲にわかってもらえない辛い時期があり、いまでも嫌な思いをしたことを覚えていますが、こうして同じ思いをされている方の存在が励みになります。
時には、休職や退職も自分を守るためのひとつの手段になります。マウンティングやエネルギーバンパイアにエネルギーを吸い取られないような、彼らに迎合しない強くしなやかな心を時間をかけて手に入れていきたいと思います。
長文ですみません
こんにちは。
相手の言っていることがおかしいのだということに納得できてしまえば、あとは溜まったストレスを発散してご自身の人生を生きなおしていくだけかと思います。
どうかどうかご自分を大切に、つまらない人間に構わず豊かな人生を歩んでいってくださいね。