自己愛者※はいつも「虚像」を自分や周囲に思い込ませるための行動をとらずにいられません。(※自己愛性パーソナリティ障害と診断されるような行動様式を持つような人々、その傾向がある人。)
そんな彼らが恐れることは。その虚像が虚像であると露呈することです。
自己愛者は夢を見ていたい
自己愛者は人格について問題を抱えています。
健全な成長を遂げた人は、「自分はこんなかんじ」という感覚を周囲の人々とのバランスを保ちながら持つことができます。
しかし自己愛者はそうではありません。
自分は…の後に続く自己像は実物よりも遥かに大物となっています。
実物とは異なる自己像にしがみついた彼らは、その自己像に逆に振り回されています。
これでは自分という人格は無いに等しいです。
自分はすごい。
自分は特別だ。
自分は…。
自分、自分、自分、いつも興味があるのは「理想的な自分」についてだけです。
夢から醒めるとそこにあるのは
自己愛者は「理想的な自分」にしがみついて自分を感じようとしますが、実際の「現実の自分」は異なります。
では「現実の自分」とはなんでしょうか。
人間なんていうものは得意も不得意もバラバラで、どんなに完璧とされるような人でさえ失敗しますし、うっかり何かを忘れることもあります。完璧など存在しません。
多くの人はそういった完璧ではない自分を受け入れていきます。
しかし、この完璧ではない現実を受け入れていく過程は心の痛み・恥の感情を伴うものです。
幼子は些細なことでかんしゃくを起こしたりしますよね。大人にとってはたいしたことないことであっても子どもにとっては大事件だったりするからです。通常、それを少しずつ受け入れられるようになって人は成長していきます。
いわば健康に育った人間はこの心の痛み・恥の感情を乗り越える心の筋肉のようなものも少しずつ育てて大人になりますが、自己愛者はこの心の筋肉が発達していない状態です。
Q.幼児に大人でも重いと感じるような荷物を持たせたらどうなりますか?
持てませんよね。
これが現実を前にした自己愛者に起こることです。
受け入れること自体ができないのです。
対処できないことは恐怖です。そして、あまりに強い恐怖を前にすると人は乖離状態などになって自分を守ります。
自己愛者は常に逃げて逃げて逃げて、自分を守っているのです。
もしも自分がしがみついていたものが虚像だと認識したら、そこには健康な人には考えられないような絶望の深い闇があります。
幼児期からの人格的欠損を持ちながら生活しているのが自己愛者です。それでも生きていけるための行動があれらの行動です。絶望の深い闇を認識したとき、彼らはいわば「生の否定」をされます。
自分が生きながらえるために人の命を奪う
自己愛者のことはエナジーバンパイアなどとも言われます。
彼らは人の精気を吸い取るからですね。
なぜいつも人から奪うのか?
それは自分自身が「生の否定」から逃れるために人の生を喰らっているからです。
自己愛者には「ほどほどの自分」がいません。
「みんな違ってみんないい」という思考はありません。
建前として「そういう風に考えている方がウケがいい」のは知っているので格言的なことを口にするのは好みますが、本人はそう考えられるほど成熟していないため実際の行動は異なります。
自己愛者はいつも勝ち負け、ゼロか百か思考です。
・相手が勝ってる=自分が負けてる。
・百ではない自分=ゼロ
こういった思考なのです。
だから
生きる価値のある自分
の反対は
生きる価値のない自分
なのです。
自己愛者からのハラスメント被害に遭った人が自殺をすることがあります。
そして上手くいかなくった自己愛者自身も自殺をすることがあります。
彼らはエネルギーを吸い取って比較的元気がある時は誰かを生贄にして生きながらえようとします。しかし、そうでなければ自分の命などもともと価値があるものだと無意識の中では思っていないのです。
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