対人トラブルの種まき
「Aさんとは付き合わない方がいいよ」
「Aさんって~なんだって」
「Aさんがあなたのこと~って言ってたよ」
「私、Aさんに嫌われてるのかな…」
噂話に「相談」。
そこから始まる対人トラブル。
世の中には付き合わない方がいい人は実際に存在しますが、本当に付き合わない方がいい人は他人の人間関係を破壊し、自分に有利な状況を作り出すことに手間暇をかけます。
せっせと「トラブルの種」を蒔き、それを育てていくのです。
そのため、「付き合わない方がいい人」の方が場を支配する立場にいることは珍しいことではありません。学校にいたいじめっ子を思い浮かべるとよくおわかりいただけるのではないかと思います。
小学生のような嫌がらせを大人になっても続ける人
「いじめっ子」のメンタリティを改善させることなく成長したいじめっ子は、いじめの技術を磨いた大人になります。そしてその中身は子どもの頃のままです。
多くの人は良好な関係の方が心地いいため、わざわざトラブルの種をまいて仲たがいさせたいなどとは思いませんが、いじめっ子メンタルの人はそうではありません。
それは、いじめっ子メンタルの人が考える「良好な関係」というものが根本的に異なることが原因です。
人間関係の捉え方が異なるのであれば、人間関係の築き方が違うのは当たり前です。
「小学生のような嫌がらせ」と一般的に言われるような行為は、幼児的なメンタルありきの行動ではありますが、通常、人は人間関係で学びや気づきを得て成長していきます。
大人になってもそのまま、ということはその捉え方の根本が違うのです。捉え方が異なればそこで学ぶことは違いますね。
だからいじめの技術を磨いた大人になるのです。
いじめっ子の人間関係は「支配者たれ」
いじめっ子、ボスママ、パワハラ上司…多くの人の心を削り、その人の周りでは傷ついた人が倒れていくような人間関係ばかりを繰り返す人達。
こういった人達はそもそも相手のことを一人の人間としてみていません。
常に自分!自分!自分!!です。
自分の優位性、自分の価値観、自分の利便性…こういったことの権利拡張のために他者を利用して当然だという前提が存在し、「そのために他者を支配下とするべきである」、これがこの人たちの人間関係です。
肥大した自己愛を持つこの人達が考える「こうあるべき人間関係」は、通常の人が考える「良好な人間関係」とは異なります。
他人の人間関係を破壊するのは自己利益のため
冒頭の、「Aさんって~なんだって」「Aさんがあなたのこと~って言ってたよ」、こういう対人トラブルの種まき行為は、なるべく自分に都合がよくなるための対人操作です。
・自分がその集団の中で優位性を保持するためにAが邪魔であれば、Aが集団から疎外されるように動きます。
・Bのお気に入りが出世するのであれば、Bの周りの人間関係をいじって引き離し、自分がBの近くに収まります。
・幸せそうな人間を害したい欲からその人の交際相手や伴侶に手を出すこともあります。
しかしこれらのことも、健康な人にはそれが利益だとすら感じられないことばかりですね。
そうです。
健康な人は自己愛が肥大していないので、上記のような優位性に異常に拘る執着心もありません。また、自分の周りの人を害して利己的に得する選択自体、そもそも心地いいとも感じません。
自分も自分の周りの人も幸せだと心地いい、これが健康な状態ですから。
「お前は私の(思い通りになる)はずなのに!!」
肥大した自己愛を持つ人は、自分と他人の区別がつきません。
健全な人には理解できませんが、相手が自分とは異なる一人の人間だと認識できないため、そこにリスペクトを持つことができないのです。
・○○さんが幸せそう
この事実に対して、肥大した自己愛を持つ人は「傷つき」や「怒り」を感じます。
相手に対するリスペクトを持てない自己愛な人にとっては「ずるい」のです。
・□□さんが自分と違う
この事実に対して、肥大した自己愛を持つ人は「不安」や「怒り」を感じます。
自分であるはずの相手が自分とは違うと「主張すること(←のように感じる)」は自分への反逆なのです。
こういった歪みを持つ人は、健全な人間関係を構築する能力に欠損があります。
関わらなければならない時にはそのことを踏まえて接する必要があります。
自己愛人間はそこかしこにいます。
対人トラブルを整理すると、そこには大抵自己愛人間がいるものです。
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