自己愛者の対人トラブルの多さは、「I am OK, you are not OK.」のモラハラ基本スタイルにプラスし、事実を捻じ曲げてでもそれを押し通す認知の歪みに由来します。
健全な関係は「I am OK, you are OK.」です。
自分も相手もOK、自己肯定&他者肯定ですね。
しかし、自己愛者はそうはなりません。
脱価値化の対象となったターゲットを自分のゴミ箱として扱うことがデフォルトですので、その対人スタイルは「I am OK, you are not OK.」です。
自分はOK、相手はダメ。
むしろ、そういうことにするために事実の方を捻じ曲げてしまいます。
「自己愛フィルター」とは
これは筆者が勝手に呼んでいるものですが、前回の記事にしたものになります。
↑この、自分の都合の良い世界を守るための認知の歪みですね。
自分の問題について自覚が困難なレベルの、より深刻な自己愛者ほどこの歪みに守られています。
モラハラ被害者がモラハラ加害者のことを「記憶障害なのではないか?」「認知症がはじまったのかな?」などと思うのは、この認知の歪みによって、都合の悪い部分が加害者に都合よく改竄されてしまうからです。
自己愛者は複雑なものを複雑なものとして認識できない
自己愛者は「いいいもの」と「悪いもの」を同時に持つことに困難を抱えています。
世の中の殆どはグレーゾーン・グラデーションですが、自己愛者は全部良い・全部悪いという分裂した世界しか持つことができません。これは実際の世界はそうではなくても、自己愛者の中ではその世界しかない、ということです。
したがって、そのグラデーションの世界の中でそれぞれの心地いい場所を互いを尊重し合いながら暮らしている人々とは認識している世界そのものが違います。
自己愛者は「自分は全部良い」「悪いものは自分以外」なのです。
I am OK, you are not OK.ですね。
現実の世界と自己愛者の世界はそもそも別のものなのです。
何があっても自己愛者は守られる
自覚が困難なレベルの自己愛者の中では、現実の世界から自分を守るための超高性能自己愛フィルターが搭載されています。
例)
前提:私は素晴らしい/私は優秀/私は特別
現実とは関係なく、自分は優秀で素晴らしい人間なのだという脳内の前提をもとに振舞う。現実とは関係ないので、その話は虚実が混ざっており、嘘の割合が高いことも珍しくない。
↓
現実が目の前にチラつく出来事がおこる
・自分よりも他人が評価されている
・嘘を指摘される など
↓
「超高性能自己愛フィルター!!」
↓
「自分は正しい」&「悪いのは自分以外」!!
「あなたのそれは嘘だよね?」は認識できない。あるいは嘘をついた事実ごと自分に不都合な部分が認識できない状態になる。
不快な現実の方を被害者意識で破壊しようとする。
受けたストレスを当然の権利として他人に八つ当たりして発散しようとする。
これらが自己愛者のモラハラあるあるです。
自己愛フィルターがあるせいで、事実を前提に話し合いをすることも意見をすり合わせるなども困難です。
関わるな・逃げろ、と言われるのはそのためです。
「底つき体験」が自己愛者を変える??
「自己愛性パーソナリティ障害が治った」という方は、だいたい痛い経験から恥を感じ、自分を変えていきます。
自分の行いに起因する対人トラブルがきっかけとなることが多いようです。
底つき体験とは、自分の問題を否認している状況から受け入れるきっかけとなる、言ってみれば「受け入れざるを得ないほど困難な現実に直面すること」です。
しかし、これらの治った人達は「恥を感じる能力がある」ケースであり、超高性能自己愛フィルターを搭載している場合、恥を感じるような部分はカットされるので恥は感じません。
自分を守るためのフィルターが超高性能なため、「恥・心の痛みで学習する」ということ自体ができないのです。学習できる段階ではない、といった方が合ってるかもしれません。より健康ではないのですね。
妄想の世界で快適に生きることで適応し、自分は常に無責任でいられて不快なものは消えて無くなくなる…ある意味最強ですが、その病みレベルが深刻であるが故です。
その病んでいる状態からどうにかマシになってもらえないのだろうかと心ある人は思いますが、残念ながらどんなに気づきを促してもフィルターがあるので届きません。
人に責められる、人から見放される、こういった経験が底つき体験としてそもそも成立するには、「受け入れざるを得ないほど困難な現実に直面している」という現実自体を認識できなければならないのですね。
超高性能自己愛フィルターはその人を守るものです。人や社会とちゃんと繋がれないフィルターですが、そのフィルターなしには生きられなかった過去があったのでしょう。