自己愛性パーソナリティ障害のコミュニケーションパターン
自己愛性パーソナリティ障害の人は、自己愛が病的なため心が健康ではありません。 よく「共感性が低い・無い」と言われますが、心が健康ではないので人の心に興味を持てる余裕は持ち合わせていません。よってそもそも他者と心の交流があるコミュニケーションをとることができません。
フレネミーや自己愛性パーソナリティ障害(人格障害)のモラハラやマウンティグなど、対人関係の悩みを軽くするための情報を発信しています。体験談をベースにブログ記事にしています。
自己愛性パーソナリティ障害の人は、自己愛が病的なため心が健康ではありません。 よく「共感性が低い・無い」と言われますが、心が健康ではないので人の心に興味を持てる余裕は持ち合わせていません。よってそもそも他者と心の交流があるコミュニケーションをとることができません。
「どうしてそんな人を選んだのか?」 「被害に遭う人にも問題があるのでは?」 という言葉がモラハラ被害者にかけられることは、残念ながらまだ珍しくありません。 この言葉は痴漢や強姦などでもよくかけられる、被害者に対する二次加害の代表的なフレーズです。
人には合意性バイアスというものがあり、自分の考え方や行動がもっとも一般的で、他の人も自分と同じだと考える傾向があります。善良な人は性善説で人を捉えすぎて騙されたりしますが、逆に自分がいつも嫌がらせをするような人は他者も多かれ少なかれやってると考えます。
一見友達。 向こうは私のことが好きみたいでいつもくっついてくる。 …だけど、この人といるといつも私はなんかもやもやと嫌な気分。 私にいいことがあると水を差すようなことを言ってきたり、私が活躍すると機嫌が悪くなる。 本当にこの人って友達なの?
痴漢・セクハラ・パワハラ・モラハラ、これらは加害欲や支配欲からおこります。加害者は認知のゆがみによってこれらの行為を正当化しながら己の欲を満たし、その快楽に依存していきます。
自己愛者の自己演出は、1のことが100にも200にも膨れ上がります。自己愛者はいわば自分を常に誇大広告で演出しており、「嘘は言ってないが真実ではない」ことが会話や発信に散りばめられます。
「嫌だって伝えたら、話し合ったらわかりあえるのでは?」 モラハラを知らない人はそのように言ったりします。 まるで相手が「話し合ったら話が通じる相手である」という大前提が存在するかのように。 モラハラ加害者に話し合いは通じません。なぜなら都合の悪いことは認めないという障害だからです。
毒親、もとい虐待のある家庭で育つということは、基本的人権の無い家庭で育つということです。 基本的人権のない家庭で育つということは、自分で自分の人生を決めることが許されないで生きるということです。 特に最近は自己責任論を主張する声が目立ちますが、そもそも毒親育ちというのは
病的な自己愛を抱え、人を利用することを当然とする人がこの世の中にはいます。そういった人は、神経症的競争、神経症的要求といった特徴を持ち、自分は常に勝者でなければならない、自分の欲はすべて叶えられて当然であると考えています。 そういった自己愛者達のコミュニケーションの基本は「テイク」です。
自己愛性パーソナリティ障害のターゲットになりやすい人となりにくい人、というのがこの世の中には存在します。 そして、どこにいってもタゲられる…という俗に言う被害者体質の方とアダルトチルドレンには深い関係があります。