ボランティアを正義として無償労働を強制するのは搾取

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すっかりボランティアということばに不信感を抱くようになってしまった管理人です。

…あえて言いますが、私はたくさんボランティアしてきました。

「利用されてない?」って言われながら。

…実際、利用されていたのかもしれませんが。

「してもらって当然」になると萎える不思議

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やりがいも始めは感じていましたが、そんなのは最初だけで、「してもらって当然」でろくに感謝すらされず、持ち出しで自分の時間と労力と専門知識を与えるのが苦痛でしかなくなりました。

部活の指導を頼まれて、頼まれたけれどボランティアという状況で行き、交通費もお礼も無し。一回行く度に交通費だけで1000円以上の出費×一週間。拘束時間は一回半日。

そして、頼んできた学校の先生は公務員。

片や、私は大学に研究のため残っており、講師業と学業を平行する日々。

…ボランティアとはなんだろう…と思いました。

その時間、賃金の発生する指導をしていれば研究資料だって揃えられるしセミナーも出られるのに…と。

「お金」じゃないのかもしれまん。お金はただ「ありがとう」の気持ちを形に変えたものですから。

でも、「ありがとう」ももらえなくなると…すごい虚無感と徒労感になるんですね。

すっかり気持ちが萎えてしまいました。

ボランティア=いいことという前提がそこにあると

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ボランティアはいいことという価値観が蔓延する現代。

「断るなんて冷たい」という前提が存在する中で頼むというのは、人の罪悪感を利用して断れなくした単なる搾取なのではないかと思いました。

「教える勉強になると思うから」

「あなたの力が借りたい」

…と。

まぁ、人生勉強にはなりましたが(苦笑)。

ボランティアも全部が全部悪いとはもちろん決して思いませんけどね。

でも、「やりがい」や「素晴らしいことしてます」というキラキラした雰囲気で人を惹き付けて、ただタダで働いてくれる労働力を確保しようとしている場合も少なくないと思います。

そこにあるのは「ありがとう」ではなく、「タダでラッキー」という別の感情が蔓延しています。

人の時間や労力の価値について考えが及んでない場合もありますが(学校の先生は公務員だからなのか特にそういう方が多い)、「何か力になれれば」という純粋な気持ちが悲しい気持ちにならないような関わり方をしていけたらいいですね。

さいごに

若い頃はなかなか人を見極める力も未熟ですし、時間が有限だという感覚がいまひとつだったりしますが、是非ボランティアを考えている人には相手を見極める目を持ってもらいたいです。

自分が出来ることをやることが結果として本当に相手のためになるのかどうか。それは適切な支援なのか、単なる甘やかしなのか…など。
…って、若い頃の自分にも言いたいです(笑)

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