何気ない話にはニコニコ友好的に話してくるのに、私に良いことがあると明らかに不機嫌。そして無視。
いますよね。こういう人。
自己愛者って、中身は成熟してないので人格者とは程遠いです。
乳幼児に成熟した人格や、聖人君子のような人格なんて無いのと同じです。
その根っこにあるのはより原始的な欲。
人の理性の発達は後からですし、愛情が何かを感覚として知って「与える側になりたい」と感じるようになるのも後からです。
健全な発達をとげられなければそれらは持っていません。
幼児的万能感から未卒業
子供の頃は「自分はすごい」と思います。
根拠など無く、「何にでもなれる」と思います。
自分はまさにヒーロー。
要は、正しく強い無敵の存在。
この幼児的万能感から卒業できていないのが自己愛者です。
中身は乳幼児ですから。
自己愛者の言動を見ていると決して良い人とは言えませんが、自己愛者の中では「自分は良い人」なのです。乳幼児が自分をヒーローだと感じるように。
「良い人」と「悪い人」
自己愛者は「自分は正しい」という前提を持っているため、悪い自分は「無い」です。
「無い」ので、それは自分のものではありません。
人間生きていれば色々ありますから、思い通りにならないこともありますね。
でもそういうものも全てひっくるめての人生、これを健全に成長した大人は歩んでいきます。
しかし、未成熟な自己愛者にとって自分の思い通りにならないことは一大事です。
そのため、その責任は全て自分以外のせいにするなどして対処します。
自己愛者の前提は「自分は良い人」。
そして、自分に不快感を与える存在は「悪い人」です。
…これはとてもシンプルですね。
加えて、幼児的万能感からは未卒業。
これが合わさることにより、自分の万能感を脅かす存在=自分よりも優れたものを持つ存在は「悪い人」になります。
「自分が一番であるべきなのに」
こちらの記事でも、自己愛者は価値のあるものほどディスりたいものだと書きました。
自己愛者は幼児的万能感を抱えているため、そうではない現実を突き付けられることは「脅威」となります。
自分の安全な世界が破壊されてしまうからです。
<自己愛者の中の認知ではこうなります>
前提:「自分は正しい」
誰かが自分よりも活躍している・誰かが自分よりもいい思いをしている。
↓
幼児的万能感を脅かされる不快感情が生まれる。
↓
あいつは悪い奴だ。私は被害を受けた。
↓
悪い奴には私が正しいとわからせるべき。懲らしめるべき。
↓
「自分は正しいことをしただけ」
「私は人格者」「許してあげてる私」「あいつよりも私の方が上」
↓
加害した相手なのに平気で友達のように話しかける。
まともな人はこの歪んだ流れがわかりませんから、「あんなことしてきて平気で話しかけてきた」ということに衝撃を受けますが、自己愛者の中では「自分が正しい」は揺るぎませんし、それ以外の情報は都合よく捻じ曲がったり消去されたりするので、この異常な行動が標準になります。
敵か味方かわからない?
「優しい時もある」「いつもひどいわけじゃない」
これはDV・モラハラ加害者について語る時の被害者の台詞でよくあります。
フレネミーと一緒にいる人もそうでしょう。
しかし、前述のように歪んだ認知でそういった流れになっています。根っこがおかしいからこそそのような不安定な状態になっているのです。
自己愛者はあなたの活躍もあなたの幸せも喜びません。
自己愛者はあなたが自分の個性を発揮すると傷つくのであなたを傷つけて個性を潰そうとします。
そして、あなたを傷つけてエネルギーを奪ったら、しばらくすっきりしてニコニコしているでしょう。
あなたからエネルギーを奪って生きているのがあの人たちです。
生態としてはあなたの人生を食いつぶす寄生虫に近いです。
寄生虫って、あきらかに敵って顔はしません。住み着くので。
でも、自己愛者は奪うエネルギーがどんどん大きくなっていくタイプなので、寄生されているとどんどん状態は悪くなります。
宿主を殺したい。
そして宿主になり代わりたい。
これが自我をまともに持てなかったあの人たちの根っこにある欲です。