ブラック部活は顧問だけの問題じゃない

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青春に部活のイメージがついてくるのは、おそらく日本での当たり前。

「君は中学生(高校生?)」の後に続く「部活は何をやっているの?」は一種の定番挨拶と言えるでしょう。

ようやく部活がブラックであると認識されてきた

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少なからず関わっていたことがある人間から言わせていただくと今さら感が半端ないわけですが、不景気の今は「安定の職業」というだけで教員が叩かれる風潮があることも、「部活があるのもはじめからわかっていたことだろうが!」「部活がやりたくて教師になったやつもいるだろうが!」という声があることも知ってはいます。

ですが、私個人は部活は無くなってしまえばいいと思ってます。

教師の過重労働以外の問題点

部活顧問とその家族

問題は教師の過重労働だけではありません。

その家族の犠牲のもとに教師の異常な労働時間が成り立っていることも知っていてほしいです。学校の部活で顧問をやっている人間の家族は、家族の時間がありません。

教員の出勤時間は当然子どもたちよりも早いです。そして、帰宅する時間も当然子どもたちより遅いです。

7時前には家を出て、夜9時に家に帰ってきて、土日は部活。

…となると、教員の休みが無いばかりか家族の時間もありませんが、7時15分くらいからは朝練が始まるわけですから、当然家を出るのはもっとずっと早いです。

教員夫婦の子どもが荒れやすいとは一部では常識のように言われているらしいですが、実際自分の子どもと接する時間は少なすぎる。というかむしろほぼ無いとすら言えます。(コロナ前)

学校の中に入った部活という特殊性

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また「部活」という、学校生活の延長線上にある特殊さによって引き起こされる弊害についても考えいきたいです。

甲子園には育てる学年と捨て駒のような扱いを受ける学年が存在します。

部活にも大人の事情というものがあり、特に甲子園には莫大な利権が絡んでいるため、3年間という決められた枠組みの中で結果を出すためにそれはやむを得ないこととして扱われています。

試合に出られる人数に制限がある中で、経験を積ませて3年間で育て上げて3年目で結果を出すことを期待される学年がいるとすると、その影で育てる対象にならない学年は試合にはほぼ出られないということが出てきます。

上級生なったら試合に出られるなど、そういうシステムではそもそもありません。

人格形成や情操教育などを部活に期待しながら、中身は全然異なってしまっている現実がそこにはあります。

勝てるかどうか、学校の宣伝になるか、儲かるかどうか…そういう「大人の事情」が既に部活にははびこっているわけですね。

また、公立学校においては、私学のような企業的な視点とはまた違った問題が生じてきます。公務員は数年で転勤することになっている(一部特例が適用される場合もあるが)ため、「部活」を志望理由にする子どもがいる場合、指導を受けたいと思う先生を追いかけて入学しても突然転勤ということが起こりうるのが今のシステムです。

こういった事情を考えていると、どうして「学校の部活」である必要があるのだろうか?と思えてきます。自由に指導者を選べて、学年を超えて切磋琢磨できて、合わなければ移動することもできるサークル的な環境の方がむしろ人格形成としても健全ではないでしょうか。学校という括りにすることによって強制的に閉鎖的な環境で送る3年間という縛りが生まれます。

現代でもまだパワハラが横行していますが、パワハラ気質の先生にとっても「(暴力的指導が)やりやすい」環境です。

部活での活躍が学校・個人の評価に関係してくること、学校と部活の人間関係が変わらない閉鎖的な環境(人間関係が選べず問題があっても我慢が強いられる環境)であること…など、学校の場合は進学先など、その人の人生にまで影響を与える場であるため、特有の問題が生じます。

学校の常識は世間の非常識。とは言われますが、実際、学校が終わったら人はいきなり自由になります。ですが、その自由をうまく泳げる訓練を学校ではできません。世の中はもっと流動的ですし付き合う人も選べます。理不尽なこともありますが、声をあげられない環境になれるのはむしろ危険です。

長時間指導をする顧問は素人である

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コーチを雇うなりしない限り、ほぼ指導する顧問は素人である可能性が高いです。中にはプロを経験してから学校の先生になるケースもあるがとても少ないのが現状です。

3年間やれば数千時間におよぶ練習をプロの現場も知らない学校の先生がみているのがむしろ不思議でなりません。

スポーツや芸術の分野では、プレイヤーの一線にはいけなかったもののスキルを持っている人材がたくさんいます。また、スポーツの分野ではプレイヤーを引退した人が「第二の人生」を選びます。是非そういう人達に学校という「場所」だけを開放してもらって新しい活動をしてもらいたいと個人的には思います。

親目線で子どもの教育環境をよりよくする方向に考えたい

「部活の顧問が無くなったら教師が楽すぎる!」という声もありますが、現状、学校の部活には様々な問題が内包されています。教師が楽かどうかという視点ではなく、親としてはよりよい教育環境になることを望みます。

また、教師が羨ましい職業でないと教育の質は下がります。教員のブラック労働問題が明るみになってきた今、職業としての人気が落ちて実際かなり倍率が低いです。倍率が低ければ質も下がるでしょう。

私自身もかつては教壇に立っていたことがあったので教師だって所詮人間だとは思っています。ですがその中でも質の高い教育のために、「選ばれた人」になってもらいたいと思います。

「教師なんか」といわれる職業になってはいけません。

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