自己愛傾向の強い人は自分さえよければいいので、責任をとらずにメリットだけを求めます。
そういった態度によって度々トラブルが起こりますが、そのトラブルの責任もとりません。
それが自己愛者※です。(診断はできないが自己愛性パーソナリティ障害の行動パターンを持つ人)
やるのは「ほのめかし」や「アピール」
自己愛者は責任を取りたくないので、相手が自分の願望を察して動いてくれるように誘導して生きています。
その生き方で適応している、くらいな感じですね。
こちらの↓記事でも書きましたが、「私はこんなに困っている」とアピールするのは相手が自ら望み通りのものをくれるまでの筋書きが自己愛者の中にあるからです。
自分から「ください」とは言いません。自分が発言するとそこに責任が生じるからです。
自己愛者の周りではよく対人トラブルが起こります。
しかし、自己愛者は直接何かわかりやすい加害をしてトラブルになることよりも、ここでも責任を負わずに加害するという手法をとります。
だいたい、
●言い逃れができるような「気のせいかな?」と思うような微妙なラインの小さな嫌がらせを執拗に繰り返したり(→詳しくは小さな嫌がらせを執拗に繰り返す自己愛性パーソナリティ障害 )
●周りの人間関係を操作したり(他人の人間関係を壊す人(対人操作する人) )
自己愛者が加害者であるということがわかりにくいかたちでそれらの攻撃は行われるのです。
自己愛者は、自分は責任を負わずにメリットを得られるよう、相手の反応を引き出します。
「無視されるよりはマシ」という状態
とはいえ健康なメンタルの人は、責任を互いに持ち合うことで助け合おうという人間関係のベースがあります。責任を持ちたくない、とはあまり思わないのです。
何かそれぞれに自分にできることをやって、相手とそれらを交換することに喜びを感じます。
ネガティブな事柄についても、自分の欲望を押し付けて相手が不快に感じるのならその欲は引っ込みます。良心が痛んだり相手に共感したり責任を感じるからです。
しかし自己愛者は健康ではありません。
そういう健康的な交流をベースにできる心がありません。
自分がやったことで相手が喜んでくれると自分まで嬉しい、と感じる心もありませんし、相手が不快だろうが自分の欲望が優先されます。
根本的に互いにポジティブに繋がるということがわかりません。
そして厄介なことに、そもそも人という生き物は他者と交流して生きるように設計されている生き物です。
人の関心に飢えると、たとえそれが肯定的な関わりでなくとも「人が自分に関心を向けてくれること」に喜びを感じます。無視されるよりはマシなのです。
に書きましたが、自己愛者はかまってちゃんです。
自己愛者にとっては「お前なんなんだよ!」という他者の怒りであっても、かまってもらえたことは喜びです。
人の関心に飢えていると、自分の影響で相手の感情を動かしたことで悦に入ることができてしまうため、相手が自分を恨むことですら「影響を及ぼした自分」を感じて支配欲が満たされるような歪みを持ってしまうのです。
「他者と繋がっていない人」
もし、あなたが誰とも交流を持っていなかったとしたら、あなたに責任というものは発生しますか?
衣食住も、料金を支払うことも、相手がいなければ全て自分がよければいいのです。
裸で生活しようが、何を食べようが、どこに住もうが、世界に一人で生きていたら責任なんてなくなります。赤信号を渡っても自由なのです。
誰とも関わらない時に責任って発生しないんですよね。
自己愛者は「繋がっていない人」です。
繋がっていない人には責任は存在しません。
だから自己愛者は当然のように無責任なのです。
自分以外はモノです。
モノをどのように扱おうと自由、そういう世界に生きているのです。