過度な甘やかしや過保護が原因となった自己愛性パーソナリティ障害

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今まで自己愛性パーソナリティ障害の原因として過干渉がメインのケースをご紹介してきましたが、今回は過保護で自己愛性パーソナリティ障害になったケースの記事です。

なぜ過度な甘やかしや過保護でも自己愛性パーソナリティ障害になるのか

自己愛性パーソナリティ障害は過干渉や過保護、虐待がその多くの原因となる、というのが現代での一般的な見解です。過干渉が人格への介入である、というのはわかりやすいですね。ではなぜ過保護でもそうなるのでしょうか。

私の周りをみていても家族仲も問題があるように見えず、むしろとても大事に育てられていると感じる人が自己愛性パーソナリティ障害特有の行動パターンを示しているケースがありました。

「自分は特別である」という尊大な態度、そして、他者が自分を特別扱いすることを当然とする姿勢、嫉妬した対象を脱価値化する行動…こういった自己愛性パーソナリティ障害ならではの対人パターンで、周囲にも「あの子わがままだよね」と言われるタイプでした。

自己愛性パーソナリティ障害は「ありのままを愛せない障害」と言われますが、過度な甘やかし・過保護は、いわば「ありのまま」の領域設定に失敗した人格を形成します。

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過保護は虐待である

実は、過保護は虐待です。過度な甘やかしは大人になることを阻害してしまうのですね。

自立を阻むという点で、虐待に該当します。

自己愛性パーソナリティ障害の中でも、過度な甘やかしでそうなったのであろうというケースを2人ほど知っています。

彼女らに共通するのは、「いくらでも自分の望みは叶うべき」という態度でした。
両者とも、年老いた両親の元、年の離れた姉妹の末っ子として生まれており、蝶よ花よと「たくさんの保護者」に甘やかされて育ったであろう背景が見て取れました。

人は失敗することで痛みを感じ、それを克服することを学びます。ところが、過度な甘やかし・過保護で育つということは、これらの痛みを自分で克服するという学習を取り上げられるということです。

過干渉による自己愛性パーソナリティ障害は、支配によって「自分で選び、自分の意思で挑戦し、失敗したり成功したりする」という心理的な経験が剥奪され、自己愛の健全な発達が阻害されます。

一方、過保護による自己愛性パーソナリティ障害は、失敗体験自体の剥奪によって健全な自己愛の発達が阻害されます。

これらの経験の欠如は「ネガティブな体験を自己処理できない」という自己愛性パーソナリティ障害特有の状態に子どもを導いていきます。

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甘やかし型の自己愛性パーソナリティ障害の傾向

彼女らは過干渉で自己愛性パーソナリティ障害になったケースとは少し違い、共感能力自体はいくらか持っている傾向がありました。

嫉妬の対象を脱価値化する態度は共感性を有しているようには見えませんが、自分が仲間だと認識している人の悲しみや喜びにはある程度共感する能力自体は持っているようでした。自己愛性パーソナリティ障害あるあるの演技のときももちろんあったのかもしれませんが、実際に涙を流したりすることもありました。

ただ、自他境界は曖昧でした。曖昧というよりも無い、に等しかったです。
勝手に他人や自分の役割やスケジュールを自分に都合よく決めて周知していたりしました。
他人の都合が存在する、ということが理解できないといった感じです。

他、無断欠勤などにも「テヘペロ」であったり、とにかく「叱られるということが理解できない」といった感じでした。当然そういったことは叱られるわけですが、その時の傷つき方が異常で、抑うつ状態になるか、その理由を自分のせいではないと認知を歪める傾向が顕著でした。反省する、ということは能力としてやはり獲得しそこなっていました。

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攻撃対象は限定的

過保護・甘やかし型の自己愛性パーソナリティ障害の場合、いじめ依存症のような状態は比較的マシでした。

「自分は特別である」という認知はそうなのですが、育った環境的に甘えるのがとても上手なので、甘えさせてくれる依存対象から搾取することを基本として、安全基地を作り上げることさえ出来ていれば比較的安定している傾向にありました。甘やかしてくれる親の役割を担ってくれる他人がいればいい、といった感じですね。

ただ、自己像の中でも本人が執着しているものに対して「自分が一番特別ではなくなるかもしれない」となったときの脱価値化を目的としたいじめは、普通に自己愛性パーソナリティ障害特有の行動パターンを示していました。無視したり、取り巻きをつくって対象を値引きました。

嫉妬は受け入れることができないため徹底して嫉妬した対象の価値を値引く、というのは自己愛性パーソナリティ障害共通です。

その態度のひどさに指導者から「○○さんに対抗意識すごい持ってるけど…」と話をされた時、本人はただ黙ってましたが「私は別に○○さんのこと何も意識してない」と後から周囲にもらしていました。無視したり仲間はずれにしたり、その人だけ褒めない、などのことを徹底していたのにも関わらず、です。

過干渉型の自己愛性パーソナリティ障害の場合、「自分がない」という傾向が顕著で、好きなことすら本当は無い、という状態ですが、過保護型の自己愛性パーソナリティ障害の場合は好きなことはあるようでした。そして、際限なく自分の欲望が叶うといった感覚を持っているようでした。

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甘やかし・過保護型の自己愛性パーソナリティ障害はわかりやすい「わがまま」

過保護型の自己愛性パーソナリティ障害は、診断基準を満たす尊大ぶりですが、裏表の顔を操るという傾向が強くなく、総じて周囲から幼い・わがままといった印象をもたれる傾向にあります。

「私はすごいの!」というのが、虚無の裏返しとしてそれにすがりついているというのではなく、本当にそう思っていますし、それを覆す現実は認知を歪めて拒否しますし、現実を破壊します。

自他境界を形成することに失敗しているという点、自分のネガティブな感情を自分で処理することが出来ないという点が過干渉型も過保護型も共通しているため、表面に出てくる状態は殆ど同じです。

両方とも「一人の人間として人格が未完成になる」ので、同じなのですね。

違うのは、「共感を示してもらった経験」「自分の意思を尊重される経験」の有無でしょう。

過干渉の場合は支配なので、共感も意思の尊重もありません。過保護の場合、それ自体はある場合が多いです。なので、情緒や自我の発達においては過保護の方がいくらか発達していると言えるのではないかと私個人は考察しています。

ただ、過干渉の場合は「正しいもの」「価値の高いもの」を自分のものとすることに依存する傾向があるのに対し、過保護の場合は「ありのままの自分が特別扱いされるべき」という傾向があるため、過保護型は過保護型でやはり付き合いやすいわけではないと感じます。

ちなみに余談ですが、過保護型の自己愛性パーソナリティ障害の人は結婚相手をとても「高望み」する傾向にありました。「○○君は稼ぎはいいけど顔がだめ」などと周囲の人を一方的にジャッジし、「□□さんみたいな生活が送りたい(超エリートのお嬢様、大学の同級生とご結婚)」「多趣味で専業主婦&子沢山」など、それらのことが当然である、というふうに語っていたのが印象的でした。彼女自身は育ちも頭脳もとても普遍的でした。容姿については失礼なので差し控えさせていただきます。

過保護型の自己愛性パーソナリティ障害は過干渉型よりも、とてもわかりやすく搾取的でわがままだったと思います。

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さて、たくさん出会ってきた自己愛性パーソナリティ障害と思しき人物の中から、家庭環境を把握していた人のことを分析してみました。なぜ自己愛性パーソナリティ障害の人格が形成されたのか?によって多少示す傾向は違いますが、人間関係のストレス軽減のためにお役立ていただければと思います。

他にも人間関係の悩み、自己愛性パーソナリティ障害についての記事をたくさん書いてますので是非参考にしてみてください。

こちらは過干渉が原因となったケースの関連記事です↓

自己愛性パーソナリティ障害が生まれ育つ背景には自己愛性パーソナリティ障害の親がいることが殆どです。そして、自己愛性パーソナリティ障害の被害に頻繁に遭ってしまう「被害者体質」、心理学的には共依存傾向のある人が生まれ育つ環境にも、多くの場合家族に自己愛性パーソナリティ障害がいます。

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コメント

  1. lanina より:

    >甘えさせてくれる依存対象から搾取することを基本として、安全基地を作り上げることさえ出来ていれば比較的安定している傾向

    私は相当過保護に育てられましたが、この部分が本当にその通りで笑ってしまいました。
    幼少期、子供ながらに「このままでは自立出来ず何をどうしたらいいか分からない大人になってしまうのではないか」と危機感を抱き抜け出したくて反抗期は結構キツめだった覚えがあります。
    反抗期の途中で母が倒れそのまま亡くなり、その闘病中父は不倫で他の女にいったので15歳から自分自身を自分で育て直すしかありませんでしたが、まー情けない事に思うようになりません。依存から脱却したくてずっともがいています。
    こちらのブログで勉強させて頂いております、いつもありがとうございます。自分語り失礼致しました。

    • kinimini より:

      自分で自分を育てていけるというのはとても尊いことだと思います。
      素敵なエピソードをどうもありがとうございました。