自己愛劇場の配役や設定
自己愛者は自己愛ストーリーを作り上げ、勝手に他者をキャスティングし、対人操作をしながらそのストーリーにあてはめていきます。巻き込まれた人々はいつの間にか自己愛劇場のメンバーにされてしまうのです。
フレネミーや自己愛性パーソナリティ障害(人格障害)のモラハラやマウンティグなど、対人関係の悩みを軽くするための情報を発信しています。体験談をベースにブログ記事にしています。
自己愛者は自己愛ストーリーを作り上げ、勝手に他者をキャスティングし、対人操作をしながらそのストーリーにあてはめていきます。巻き込まれた人々はいつの間にか自己愛劇場のメンバーにされてしまうのです。
「ずるい」 この言葉をよく使うのはだいたい幼稚園か小学校低学年くらいまでですが、大人になってもやたらと「ずるい」と言う大人がたまにいます。 「(え?何もずるいことしてないのに?)」 そんなあの人の解説です。
「自分らしさ」の輝く人を許せない人が存在します。自分が無い人は「その人らしさ」にさえも嫉妬します。この手の人は自分らしさとわがままの違いすらわからないのです。
「言葉の意味が発案者の想定したものとは違うものへ変わっていく流れ」について、今まで起こってきたこと、起こっていることへの共通点がみられると感じたため、記事にしてみました。
「モラル」という単語から、日本では道徳に絡めて訳してしまったケースが後から広まって定着しつつある現状ですが、モラルハラスメントとは精神的な嫌がらせのことです。もともとは肉体的暴力ではない、という意味で「精神的な※」という意味になります。
被害者がよく言われてしまう「なんでそんなのと一緒になったの?」というセリフ。そもそもモラハラ・DVを事前に見抜くことは可能なのでしょうか?
自己愛性パーソナリティ障害の人からの被害は、ひとつの大きな特徴があります。 それは被害者と加害者の入れ替えです。
粗末に扱われることに慣れ過ぎている人は、自分に対して多くの禁止をかけてしまいます。 また、自分を低く見積もりすぎているため、まるで身分が低いかのように「わきまえて」しまったりすることもめずらしくありません。
いつでも人のせい。 「自分は悪くない」「あいつのせいだ」 話はねじ曲がり、なぜかいつも責任はその人以外に…そんな困ったあの人についての解説です。
よくこんなことできるな、よくこんなこと言えるな、と思うことを平気でやる「失礼な人」。 理解に苦しむそのような人達ですが、実は「失礼な人」を集めるとパターン化された言動がみえてきます。それもそのはず、それは人が人として成長するときにクリアしていく課題を抱えたままになってしまっている人達だからです。