モラルハラスメントとは精神的な嫌がらせのこと

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モラハラという言葉がだいぶポピュラーになったこの頃は「それモラハラだよ!」というコメントを見たりするようになりました。

およそ15年くらい前だったらありえないことです。

当時は「モラハラ?何それ?大げさじゃない?」そういう扱いの言葉でしたから。

モラルハラスメントとは肉体的ではない精神的な嫌がらせ

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「モラル」という単語から、日本では道徳に絡めて訳してしまったケースが後から広まって定着しつつある現状ですが、モラルハラスメントとは精神的な嫌がらせのことです。ちなみにウィキペディアでも道徳に絡めて説明がされてしまっています。

もともとは肉体的暴力ではない、という意味で「精神的な※」という意味になります。

※モラルハラスメントの語源はフランス語のharcèlement moralです。フランス語におけるmoralというのは、道徳的なといった意味だけではなく、精神的なという意味があります。

ただ、言葉というもの自体が共通認識・共通理解によって成立する道具ですので、現状「本来はこれが正しい」ということも難しくなっていると感じます。

要は、学校でもよく見られたと思いますが身体的な暴力は無いケースのいじめのことです。そしてモラハラは集団対個人でなくても、個人対個人でも成立します。

モラルハラスメント=自己愛的な変質者によるいじめ

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では、モラルハラスメントとは具体的なんなのでしょうか?

先に説明した通り、従来なら誤訳であった訳で現在では広まってしまっていますが、もともとは精神的な嫌がらせの意味になりますので、その内容は「道徳・倫理などを使ってされるハラスメント」にとどまりません。

したがって、無視、物を隠す・壊す、悪評を流す…こういったこともモラルハラスメントに該当します。

無論、ハラスメントにおいては、された方がそう感じたらハラスメントとして成立することになっていますので、「モラハラされた!」と言えばモラハラになります。そうなると「これがモラハラである」ときっちりと定義すること自体が実際には難しいということになります。

とはいえ、嫌がらせというものは相手を嫌がらせてなんぼなわけですから、人が嫌がりそうなことを列挙すればそれはモラハラあるあるにはなるでしょう。

モラル・ハラスメントの提唱者である精神科医・マリー=フランス・イルゴイエンヌさんは、書籍にてモラル・ハラスメントの加害者を自己愛的な変質者として定義しています。

心理学において自己愛的いえば自己愛性パーソナリティ障害に関連付けられる項目ではありますが、医師でなければ診断することはできないためか、あるいは差別に繋がらないよう配慮したためかはわかりませんがこの具体的な名前では紹介されていません。また、モラルハラスメントについて言及している専門家の書籍の多くもこの特定の名前は伏せて「自己愛」という言葉はつけつつも濁した別の呼び名をつけて説明しています。

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先日、モラハラの加害者をパーソナリティ障害につなげる論は間違っているという主張をツイッターで拝見してびっくりしてしまったのですが、そもそも提唱者は精神科医であり、加害者について「自己愛的な変質者」であると定義した言葉がモラルハラスメントです。

他にもモラハラの全部を自己愛性パーソナリティ障害につなげるのはカルトのようだと書いているツイートも見つけることができました。

言葉の意味自体が時の流れで変わっていく、ということはよくあることではありますが、「これは間違っている」と主張されてしまうと本来提唱者の定義には存在していたはずのモラルハラスメント加害者の変質性が見えにくくなってしまうのではないかと個人的には危惧してしまいます。

被害者の息苦しさ

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モラルハラスメントというものは、自己愛的な変質者ではない人からするとその行動の意図が見えないため、理解できないことによって翻弄され、強いストレスを受けます。

自己愛が健康な人は、数々のハラスメント行為についてそれがハラスメントであるとスムーズに理解できず、「その行為に何か納得できる理由があるはずだ」と考えます。

であるからこそ、突然の無視、不機嫌な態度、歪む会話、責任の擦り付け、などのおかしさを「相手がおかしくない前提で」理解しようとするわけです。「自分が何か相手がそこまで怒ることをしでかしてしまったのではないか?」と考える被害者あるあるはその典型ですね。それが既に加害者の術中にハマっているわけです。

加害者には自己愛的で変質的な独特な世界があるので、加害者と関わるということは加害者のその独特な世界のルールを受け入れるということになります。

そこには対等な関係も、リスペクトのある関係も存在しません。被害者は人間関係においてそれらのことが存在するはずだという前提を持っていますが、加害者との関係にそれらのものは存在しないため健全なコミュニケーションをとることはできません。

被害者は、少しでも状況を良くしようともがいているにもかかわらず、とにかく息苦しく、逃れようとしてもまとわりついてくる不快感で窒息していくような、そういう独特の不快感をおぼえます。

被害者の気づきのために

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私自身も、モラルハラスメントの全てがパーソナリティ障害レベルの人によるものだとは認識していません。前述の通り、「モラハラと思えばモラハラ」ですから。

そもそもパーソナリティ障害は、「本人や周囲の人が困るくらい人格に偏りがある」という状態であるため、それは状況次第で変わるということでもあります。

日本は人権意識が低く、ハラスメントに関して非常に寛容な価値観が蔓延していることも、加害者の変質的な資質が普遍性を帯びて感じられる人達が少なくない土壌を作っていると感じます。

モラハラがポピュラーであると認識している人達が多ければ、また、みんながモラハラしているのならば、「自己愛的な変質者」は変質者ではなくなるわけです。自己愛性パーソナリティ障害も障害ではなくなるわけです。みんなそうなのですから。

ですが、一度被害に遭った人であればあの変質的な人格というものは肌で感じていると思います。

別に被害者は診断する必要など無いのです。

ただ、先人が残してくれた知恵をもとに、そういう人格の人間がいることを知ったうえで付き合う人を選ぶようにしていけばいいだけです。そのための知識ですから。

私は専門家ではありませんし、〇〇は間違ってる!と断定できるほど偉くもありませんので、一人の経験者として見てきた景色を皆様と共有できればと思っています。

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コメント

  1. 西山輝代美 より:

    私の実父が亡くなり、主人のモラハラが始まりました。私は婿取りで、主人とは養子縁組をしています。20年以上も嫌がらせが続いていますが田舎町で主人は市役所職員、部長(トップ)です。離婚すると私が生活困窮者になるから我慢しています。ナルさんの記事を読み洗脳が溶け出してきました。感謝します。どうりで話し合いは平行線、すり替え、問題をボヤかされて、しまいには、「お前とは離婚だ!財産放棄する!」「お前はこの家を継ぐ器では無いよな。」など物扱い受けました。私を上下関係、勝つか負けるか、白黒思考で私を支配していたのですね。ここまで理解できれば、私がどうふるまえばよいか少しずつ知識を増やしていきます。主人は可哀相な人ですね。愛情を知らずに育ってきたのです。それでも私の責任ではない。心がすっと軽くなりました。

    • kinimini より:

      コメントどうもありがとうございます。
      モラハラは結婚や妊娠や出産など、身動きがとりにくくなったり強く出づらい立場になると始まることが多いので、とてもわかりやすい変化ですね。
      お役に立てて私も嬉しいです。
      モラハラ加害者は人との関係の捉え方が特殊ですが、そういうものなのだと理解してしまえば逆にとても動物的でわかりやすいはずです。
      どうか幸せな未来を。