自称「中傷じゃない」コメントについて
こちらの記事「理論の盗用と言われたので「資料」等公開」に 通りすがりさんから、捨てアドレスでコメントをいただいたいのでご紹介とお返事...
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「どうしてそんな人を選んだのか?」 「被害に遭う人にも問題があるのでは?」 という言葉がモラハラ被害者にかけられることは、残念ながらまだ珍しくありません。 この言葉は痴漢や強姦などでもよくかけられる、被害者に対する二次加害の代表的なフレーズです。
人には合意性バイアスというものがあり、自分の考え方や行動がもっとも一般的で、他の人も自分と同じだと考える傾向があります。善良な人は性善説で人を捉えすぎて騙されたりしますが、逆に自分がいつも嫌がらせをするような人は他者も多かれ少なかれやってると考えます。
コメントには承認までお時間をいただくことがございます。また、すべてのコメントが反映されるわけではございませんのでご了承ください。 実名でコ...
一見友達。 向こうは私のことが好きみたいでいつもくっついてくる。 …だけど、この人といるといつも私はなんかもやもやと嫌な気分。 私にいいことがあると水を差すようなことを言ってきたり、私が活躍すると機嫌が悪くなる。 本当にこの人って友達なの?
痴漢・セクハラ・パワハラ・モラハラ、これらは加害欲や支配欲からおこります。加害者は認知のゆがみによってこれらの行為を正当化しながら己の欲を満たし、その快楽に依存していきます。
自己愛者にターゲットにされると「お前が~!!」の後に続く言葉の多くが「おまいう案件」であることももはや定番です。むしろ殆どが自己紹介である、といっても過言ではないでしょう。 なぜ自己愛者は自分のことを「お前は!」と、あたかもその人がそうであるかのように言ってしまうのか?というと、それは心を守るための防衛機制の投影
自己愛者の自己演出は、1のことが100にも200にも膨れ上がります。自己愛者はいわば自分を常に誇大広告で演出しており、「嘘は言ってないが真実ではない」ことが会話や発信に散りばめられます。
「嫌だって伝えたら、話し合ったらわかりあえるのでは?」 モラハラを知らない人はそのように言ったりします。 まるで相手が「話し合ったら話が通じる相手である」という大前提が存在するかのように。 モラハラ加害者に話し合いは通じません。なぜなら都合の悪いことは認めないという障害だからです。
毒親、もとい虐待のある家庭で育つということは、基本的人権の無い家庭で育つということです。 基本的人権のない家庭で育つということは、自分で自分の人生を決めることが許されないで生きるということです。 特に最近は自己責任論を主張する声が目立ちますが、そもそも毒親育ちというのは