「DV・モラハラ被害者にも責任がある」という二次加害

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「どうしてそんな人を選んだのか?」

「被害に遭う人にも問題があるのでは?」

という言葉がモラハラ被害者にかけられることは、残念ながらまだ珍しくありません。

この言葉は痴漢や強姦などでもよくかけられる、被害者に対する二次加害の代表的なフレーズです。

どうして被害者を責めるのか?

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人間は基本的に自分は悲惨な目に遭いたくない生き物です。「自分は大丈夫だ」と思いたいわけです。

そこで、「誰もが悲惨な目に遭う可能性」を考慮しないことで自分を守ろうとします。「被害者に加害される原因があった!」ということにすることで他人事にできるわけです。

また、虐待の現場にコミュニティとしての人間関係が成立していた場合などは特に、被害者に味方をすれば自分に火の粉がかかる可能性が増えるからこそ加害者の肩を持つ、ということもあります。自己保身のために二次加害に加担する、ということですね。

いずれにせよ、自分の心地よい感じ方・立ち位置を守るために問題について深く考えず、被害者のせいにしているという点に変わりはありません。

被害者に「責任」はない

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これは何度も声を大にして訴えます。

被害者に責任はありません。

モラハラやDVの被害によく遭ってしまう被害者体質(共依存とも関係が深い)は、その背景に虐待家庭で育ったなどの自尊感情の問題を抱えていることが少なくありません。

ですが、それは加害者(虐待者)に捕まりやすいという「原因」になることはあっても、被害者に「責任」がある、ということではありません。

原因ではあっても責任ではない、というのは、つまるところ、生まれ育った環境を人を選ぶことはできないからです。

虐待家庭に育つかどうか、というのはただただ運の問題です。運が悪かったことの責任を問うことはできません。

原因を知ってから

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被害者にもし責任がある、とするのならば、それは「選べるようになってから」です。

人間は支配される環境にいる時、選択することができません。

そしてこの「選べない」ということは、すぐに改善することができません。支配・被支配の関係というのはいわば洗脳された状態であり、主従関係が存在し、自分の意思決定が難しい状態にあります。

人は選ぶこと自体にも、選んだことに責任をもてるようになるにも訓練を要します。したがって、選ぶという訓練が不足した人はまず自分で選ぶということ自体がそんなにスムーズにできません。

長年モラハラやDVの被害に遭っていた人は、明らかに自分にとって害のある条件なのにイエスと言ってしまったりします。それは自分の快不快のセンサーを働かせないことによって支配を受け入れて自分を守ってきたからです。そうでなければ生きられない、と学習してしまったからです。

被害者は、自分が陥ってしまっている状況をまず知り、自分が不快だと感じていることを知ることが大切です。NOを言えるようになった時、ようやく状況は変わり始めます。

「虐待プログラム」

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加害者は「加害者である(支配者である)」、というプログラムで生きるという生存戦略をとっています。

被害者が「被害者でいる(被支配者でいる)」、というプログラムを書き直す時、加害者は支配できる人間を失うわけですから、もちろんそれを阻止しようとするでしょう。

世の中には対等で健康的な人間関係ではなく、こうした支配・被支配の人間関係でしか関係を作れない人間が一定数存在しますし、そしてそういった人たちは被害者には変わらないでいてもらいたいと思っています。

そういった加害者気質の人たちは、被害者が被害を訴えても被害の実態をうやむやにしたり、加害者の問題を無視して被害者の問題であると主張するでしょう。

心を持った人は、他者が何を感じて何を考えているのかに関心を持つことができます。世の中にはそうした人たちもたくさんいます。

被害者の皆様は是非、あなたの声を聞いてくれる人達との人間関係を大切にしてください。

モラハラは最初からひどい状況になるのではありません。最初はむしろ「最高」だったりするのがモラハラです。モラルハラスメントと深い関係にある自己愛性パーソナリティ障害には理想化と脱価値化というサイクルが存在しており、むしろこういった「最高の関係」から「最低の関係」になっていく状況がテンプレです。
自己愛性パーソナリティ障害(人格障害)の被害は見えにくい~自己愛性パーソナリティ障害はモラハラをせずにはいられませんが、モラハラをする相手を選びますし、また周囲の評価を気にするのでモラハラをするターゲット以外に見せる顔はターゲットに見せる顔とは全くの別物です。ものすごく外面がいい
「嫌だって伝えたら、話し合ったらわかりあえるのでは?」 モラハラを知らない人はそのように言ったりします。 まるで相手が「話し合ったら話が通じる相手である」という大前提が存在するかのように。 モラハラ加害者に話し合いは通じません。なぜなら都合の悪いことは認めないという障害だからです。

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