いじめとはモラルハラスメントである
さて、フレネミーに関する記事ですが自己愛性パーソナリティ障害との関わりが深いので、まずはその行動パターンとしてついてくるモラルハラスメントについて触れておこうと思います。
ここ最近はモラハラ=モラルハラスメントという言葉も随分と一般的になってきました。ところがその言葉の意味を多くの場合は夫婦間の問題だと捉えられていることが多いです。
しかし、モラルハラスメントというのは夫婦間の家庭内暴力だけで使用される言葉ではありません。学校や職場で起こる「いじめ」は主にモラルハラスメントです(精神的な嫌がらせ・精神的な暴力を超えたものは「モラル(精神的な)」ハラスメントの範疇とは異なります)。
「いじり」という言葉がありますが、他者をこき下ろすことを「親しみを込めて」「冗談」などと正当化し責任を逃れるための表現であることがよくあります。モラルハラスメントとは、一見でそれが加害であるとはわかりにくい攻撃が多いです。
モラルハラスメント加害者は徹底して無責任であり、「冗談が通じない」などと相手のせいにしたりしながら攻撃することを得意とします。
いじめ・モラハラをせずにはいられない
いじめ、モラハラを恒常的に行う人の殆どは自己愛性パーソナリティ障害や反社会性パーソナリティ障害の人間です。
自身をカサンドラだと言い、発達障害との関連性について語る人が多いですが、発達障害そのものの特性に「モラハラをせずにはいられない」というものはありません。他害がある場合、それを行動障害と言いますが、これは知的障害や自閉症の人達に必ず発生するというものではありません。
そもそも発達障害は他人を思い通りにしたいという欲求をその特徴としていません。他人に強く執着するよりも、何か自分の中のこだわりを通したい傾向が強いので、不快な他者からの介入をされずに一人で集中できるならば他者に対し支配的な行動をとりません。
ですが、発達障害による生きにくさ・不適切な養育・他者からの迫害などを経験したことで二次障害としてパーソナリティ障害(人格障害)を発症していることは実際少なくはありません。(人格障害にも様々なタイプがあります)
人格障害グレーゾーンという考え方
自己愛性パーソナリティ障害とひとくちに言っても、その程度は本当に障害レベルのものから軽度の自己愛の歪み程度のものまで様々です。
ただ程度は違えどその行動パターンは変わりません。抑圧された無価値感を覆い隠すように現れる、自分を価値のあるものだと証明することに躍起になる優越欲求の強さです。他者と自分をいつも比較し優劣を異常に気にします。自分が優れていて価値のある存在だと周囲に認めてもらう必要にかられています。
一般的にプライドが高いと評される状態ですが実際にプライドなどはありません。真のプライドを持つことができる自我が未発達なので偽物で自分を保っているだけです。
自分の多様な側面を受容することに失敗しているので、無価値な自分と万能な自分が両極端に行ったり来たりしていて、無価値な自分に振り子が振れないように必死に万能な自分にしがみついている状態となっています。
フレネミーの行動パターン
前回の記事(「自己愛性人格障害は絡んでくる」)で触れたように、執拗に距離をつめてグイグイくるのにその会話の内容は友好的とは言い難いのが自己愛性パーソナリティ障害(人格障害)です。
友達のフリをした敵という意味でフレネミーという言葉がありますが、フレネミーの行動パターンは殆どそのまま自己愛性パーソナリティ障害(の傾向をもった人間)の行動パターンです。
もちろん程度が軽ければ障害と呼べるレベルではないかもしれませんが、少なくとも自己愛に歪みを持った人間の行動パターンと同じだと解釈していただければと思います。軽度発達障害のようにグレーゾーンとでも理解していただくとわかりやすいかと思います。
自己愛性パーソナリティ障害は優劣に異常に拘り、人と自分を常に比べます。嫉妬深く、負けることを異常に嫌います。事実を捻じ曲げても勝っていることにしたがります。
狡猾な自己愛者であればあるほど直接的な表現よりも「もやっ」とする表現で上手にマウントをとったり、相手の楽しい気持ちや幸せな気分に水を差すようなことを話してきます。
自己愛者は常に自分が一番なので、「こんなに大変なことがあったんだよ〜」などと話せば「そんなの大したことない。私はもっと大変なことがあった。」と自分の話にすり替えます。
いい報告をすればあからさまにつまらなそうな顔をしたり話をスルーしたり、なにそれ自慢?とこちらを嫌な奴認定してくることも。
悪ふざけの仮面を被った「いじり」で人をこき下ろして相手の価値を値引きます。一方、利用できる価値があると判断されれば不機嫌による脅し・泣き落としなどを巧みに操ってはこちらの同情心や義務感を煽り、自己愛者に価値(スキル・時間・手間など)を提供してあげて然るべきとでもいうストーリーが展開されていきます。
→例)「私はこんなに大変。あなたもそう思うでしょ?あなたばっかりいい思いするなんてずるい。私にも頂戴。」という趣旨のことをきれいに装飾して話してきます。このブログを読んでいるあなたはいつも雑用を任されていませんか?
フレネミーは人間を利用できるモノとして扱う
フレネミーは「友達なんだから」という顔で人を支配してきます。それは「夫婦なんだから」という顔で人を支配するモラハラDVと根本的には同じです。家庭という密室ではない分その被害がそこまで大きくならないことが多い、というだけで人間を破壊してモノ化していく工程は一緒ですし、長く関わってしまえばしまうほど&深く関わってしまえばしまうほどエネルギーを吸われ、人間性を貶められ、精神をじわじわと破壊されていきます。
フレネミーは自己重要感や優越欲求を満たすためにあなたを利用しています。他人を自分よりも下の存在であるとし、自分の思い通りに動かすことにより価値のある自分(もちろんただの自己愛者の思いこみの中での話)を確認しています。それをし続けていないと自分を保つことができないからです。
自己愛者の中に生まれる「良くない感情」は、自己愛者自身では持つことができないので(「完璧に良い自分」ではなくなってしまうため)、相手に投影して「お前のものだ」と振る舞います。
自己愛者はとても嫉妬深いですが、相手に対して「あなたって嫉妬深いよね」と言います。自己紹介でしかないのですが、マイナスのことは自分のものとして認識できないので相手のものにしてしまいます。排泄物の処理が自分でできない乳幼児が養育者にやってもらうのと同じです。「障害」とはそういうものです。
「あの人と関わるとなんかもやもやする」という感覚を無視して「でも友達だし…親しみをこめているだけなのかも」などと自分の心のSOSを置き去りにしないでください。こちらが少し避ける素振りをみせると急にやさしくなったりプレゼントをくれたりするのもDVのハネムーン期と同じです。自分の元から養育者が去っていかないためです。
現実から目をそらさずに自分を幸せにする選択をしてください。友達は「この人と一緒にいるときの自分が好き」だと感じる相手です。相手の機嫌を伺いながら気遣いの作り笑顔で察して動いてあげる関係は友達ですか?他人の接待をする前に自分の心をやさしく接待してあげてください。あなたは自己愛性パーソナリティ障害の人の母親になれますか?なれませんよね。
自己愛性パーソナリティ障害の人は悲しい人ですがそれを救える人はそうそういません。
自己愛性パーソナリティ障害の特性を理解して、理解しつつもうまく距離を取りながらやり過ごすことしか普通の人にはできないでしょう。
やさしいあなたに、やさしすぎるあなたにエールを贈ります。自分にもやさしくしてください。
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