自己愛性パーソナリティ障害の人からの被害は、ひとつの大きな特徴があります。
それは
被害者と加害者の入れ替え
です。
投影性同一視が数々の問題行動の原因
自己愛者(私は医者ではないので自己愛性パーソナリティ障害の行動様式を持つ方のことを自己愛者を呼称しています)は健康な人とは違い、病的な防衛機制が頻繁に発動してしまう状態にあります。
健康な人であっても、「自分が相手のことを嫌っているのに相手に嫌われていると感じてしまう」、など、投影自体はすることがあります。ところが、普通の人の投影と自己愛者の行う投影性同一視は、言ってみればその深刻さが異なります。
そもそも投影と投影性同一視は提唱者が違うので、ここからここまでがと提唱されたわけではないのですが、現段階では操作性においてその違いが説明されていることが多いです。
いってみれば、投影は自分を守るために自分の中で完結する防衛機制、投影性同一視は自分を守るために他者を巻き込んでしまう防衛機制、と言ってみるとわかりやすいと思います。
他者を巻き込む、ということが数々の問題行動になっているわけですね。
「自分にとって不都合なものは相手のもの」にする
自己愛者は自己完結しません。
自己完結できるほど健康ではないので、「心の中でそういうことにして自分を納得させる」ということはできないのです。
そこで、防衛機制の出番です。
自分を守るために投影性同一視が無意識で発動します。無意識です。
自己愛者が加害者と被害者をひっくりかえすのも、この無意識の投影性同一視が関係しています。
自己愛者は自分にとって都合の悪いものを自分のものとして認識しません。
そこで「お前のものだ」とするためのターゲットが必要です。
このターゲットが本来ならば被害者になるわけですが、自己愛者は「都合の悪いものを自分のものとして認識しません」ので、ターゲットが加害者にされてしまうわけです。
火のないところに煙をたてるのが自己愛者です。
被害者は放火された挙句、放火犯に放火した犯人だとされてしまうわけです。自己愛者のために用意されたマッチポンプの生贄ですね。
圧倒的理不尽です。
加害者に仕立て上げられた被害者
加害者に仕立て上げられた被害者は、本来の自分とはかけ離れた劣悪なイメージがべったりと張り付けられてしまい、自分が自分ではなくなったような感覚に陥り精神を病みます。
自己愛者が無意識レベルで「自分のものではない」としたネガティブなものを、「お前のものだ」と自信満々に擦り付けられた被害者は、それがあまりに当然のように押し付けられたので受け取ってしまうのです。
モラルハラスメントは一度や二度の嫌がらせではありません。そうしたことを執拗に繰り返されるので最初は「私ってそうかな…?」と少しの抵抗を感じたはずのことに、「そういうところあるんだな」と洗脳されていくわけですね。
被害者はこの投影性同一視を知ることにより、本来は自分のものではなかった相手のものに気がつくことができます。
加害者から離れる
多くの場合、ターゲットは優しい人が多いです。それは自己愛者に依存対象として選ばれているからです。
散々加害者に言われてきた、「わがまま」「自分勝手」「自分さえよければいい人」などの人格的イメージについて、真逆のことを他の人に言われたりしませんでしたか?
客観的事実を並べてみて、加害者に言われるような人物像に自分が当てはまらないのではないかと思いませんか?特に最初に言われたときに違和感や不快感はありませんでしたか?
あなたにネガティブなジャッジをしてくる人からは離れましょう。
あなたのあなたらしさを肯定的に見てくれる人はいます。
加害者は被害者から離れようとしません。
被害者は、共依存になっていなければ離れることができます。
あなたが苦痛だと感じることができることは、とても大切なことです。
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コメント
ナルさん
隣人トラブルから、隣家夫婦が自己愛性人格障害者の行動にあてはまり、おそらくそうであろうと察しています。
今までに経験したことがない違和感だらけで、こちらも精神状態が不安定になり自己愛者の事について調べまくっていた時に、こちらのブログにたどり着きました。
ほぼ全て読ませていただき、隣人の行動が全て当てはまり、自分の考えは間違っていなかったんだ!と救われました。
本当にありがたかったです。
現在は相手を刺激しないように、そして本来の自分を取り戻すべく生活しています。
このようなコメントを初めて投稿するので
変な文章でスミマセン。
ナルさんのブログの更新をいつも有り難く思っています。この事だけお伝えしたくてコメントさせていただきました。
ありがとうございます。
どうもありがとうございます。
今までそうした人に出会ったことが無いと特に、普通のコミュニケーションとは違う気持ちの悪さはあるもののそれが何かわからず混乱してしまいますよね。
どうか心穏やかにすごせますように。